『経典』に学ぶ
妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八
経文
仏、普賢菩薩に告げたまわく、若し善男子・善女人、四法を成就せば如来の滅後に於て当に是の法華経を得べし。一には諸仏に護念せらるることを為、二には諸の徳本を植え、三には正定聚に入り、四には一切衆生を救うの心を発せるなり。善男子・善女人、是の如く四法を成就せば、如来の滅後に於て必ず是の経を得ん。爾の時に普賢菩薩、仏に白して言さく、世尊、後の五百歳濁悪世の中に於て、其れ是の経典を受持することあらん者は、我当に守護して其の衰患を除き、安穏なることを得せしめ、伺い求むるに其の便を得る者なからしむべし。
現代語訳
仏さまは普賢菩薩に向かってお答えになります。
「もし信仰深い男女が、次の四つのことがらを成就すれば、如来の滅後においてもこの教えをつかみ、法華経の真の功徳を得ることができるでしょう。その第一とは、諸仏に護られ、念われているのだということを確信することです。第二には、いつも善い行ないをすることを心がけることです。第三は、いつも正しい教えを実践する人びとの集団・仲間に入っていることです。第四は、いつも社会全体をよくすること、人のためにつくすことをめざすことです。もし、信仰深い男女がこの四つのことがらを満足に行なえば、如来がこの世を去ったのちにおいても、必ず法華経を自分のものにすることができるでしょう」
そのとき普賢菩薩は、仏さまに申し上げました。
「世尊、ありがとうございます。よくわかりました。私はお誓いいたします。後の五百歳(自己中心の人が多くなり、自分の利益のことばかり主張するため、大小の争いが絶えない末法の世)の濁りきった悪い社会のなかで、この教えを受持する者がおりましたならば、その者をしっかり守護いたしましょう。もろもろの障りを取り除き、いつも安穏に法を行なえるようにいたしましょう。何かの隙をねらって取りつき、修行を妨げたり、迫害を加えようとする者たちに、その手がかりを与えないように守ってやりましょう」
意味と受け止め方
私たちへの励まし
この品は、法華経の説法を締めくくる大事な品です。『経典』に抜粋されている経文は、釈尊が普賢菩薩の質問に答える場面から始まっています。その質問は、「どうか私どものためにも、教えをお説きください。仏さまがこの世をお去りになりましたのち、信仰深い人びとは、どうしたらこの法華経の教えの真の功徳を得ることができましょうか」というものです。
普賢菩薩は、私たちに「実践」の手本を示してくださる菩薩で、次の働きを持っています。
「自ら法華経の教えを実践する」
「法華経の教えをあらゆる迫害から守護する」
「法華経の教えを実践する者が自ら招く功徳と、それを迫害する者が自ら招く罰を証明する」
「法華経の教えに背いた者も、懺悔することによって罪から解放されることを証明する」
これらの働きを具えた普賢菩薩が法華経の最後に登場することに、深い意味が込められています。それはこの品が、釈尊入滅後の世の法華経行者に「みなさん、何も心配することはありません。どんな困難があろうとも、普賢菩薩が必ずあなたがたを守護してくれます。だから安心して修行しなさい」という大きな励まし(勧発)を与える内容になっているからです。この釈尊の私たちに対する励ましの説法の中心が四法成就の教えです。
信仰の要点
四法成就の教えは、法華経の真の功徳を得るための要点であり、釈尊が法華経の最後の説法で「いままでいろいろと難しい教えを説いてきたけれども、それを実行するには、この四つを心がければいいんだよ」と、私たちに平易に示してくださったものです。
その一番目に挙げられているのが、「私たちは諸仏に護られ、大切に念われているのだ」という絶対の信念を持つことです。
仏さまと私たちは親子の関係です。仏さまは、いのちの大本の親として、私たち一人ひとりに絶対の愛情を注いでくださっています。人間が生まれてきた最大の目的である「自己の成長・向上」と「他者への貢献」が進むように、いつも見守り、適切な学びの機縁を与えてくださっているのです。この真実を心の底から実感することが、法華経をほんとうに自分のものとするための根本条件です。
しかし、さまざまなかたちで与えられる仏さまの慈悲の機縁を、私たちが学びの機縁として素直に受けとめられるようになるには、如来寿量品で学んだように、仏さまの慈悲を感じとるアンテナを磨いていくことが大切になってきます。
日々の生活のなかで、まずはうれしいとか、よかったと思える出来事を見逃さずにしっかりと味わうことから始めます。こうした味わいを積み重ねていくと、アンテナは感度を増していき、やがては自分に不都合と思える出来事も含めたすべての現象に対して、《これも仏さまの慈悲の現われだ。ありがたい》と元気にチャレンジできるようになります。
このように、仏さまの絶対の愛情に包まれて、私たちはお互いさまに生かされて生きているんだという真実を確信することができれば、四法成就の二番目に示されている、善い行ないをしようという心が自然とわいてきます。
善い行ないとは、仏さまのみ教えにそって自らを律しながら生活することであり、人さまの役に立つ行ないをしていくことです。また、善い心を大きく育てていくことも含まれます。ところが、いつまでもそうした気持ちを持ち続けることは難しいものです。
そこで、三番目に示されているように、善い行ないをする集まりに入ったり、善い行ないをする仲間をふやすことが必要になってくるのです。
仲間がいれば、お互いに励まし合ったり、支え合うことができます。同信の輪が広がれば、最後に示されている個人の救済や社会への貢献も、より大きな影響力を持って展開することができます。信仰面から見ても、自分だけが救われればそれでいいというのは、自分本位の信仰です。宮沢賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言っているように、私たちの周囲に不幸な人がいれば、自分の幸せだけを喜ぶことはできません。みんなとともに救われることこそ大乗の精神であり、真の功徳の実現なのです。
このように、四法成就に示されている四つの要素は、互いに深くかかわっています。しかし、いちばん重要なことは、仏さまに生かされ、護られ、念われているという真実への目覚め・確信であることは言うまでもないでしょう。
事例から学ぶ
事例編では、各品に込められた教えを、私たちが日々の生活のなかで、どのように生かしていけばよいかを、具体的な事例をとおして考えていきます。
鈴木さん一家を紹介します。
おばあちゃん・ミチコさん(75)…佼成会の青年部活動も経験している信仰二代目会員
アキオさん(45)…一家の大黒柱。ミチコさんの末息子
アキオさんの妻・夕カエさん(38)…婦人部リーダー。行動派お母さん
長女・ケイコさん(16)…やさしい心の持ち主の高校一年生。吹奏楽部
長男・ヒロシくん(9)…元気いっぱいの小学三年生
絶対の愛を感じ取る
今年1月から毎月1回、道場で行なわれてきた婦人部リーダー教育が、12回目を迎えたきょう、無事終了しました。
午前中は「四法成就」の研修、午後は修了式が行なわれ、毎回欠かさず参加してきたタカエさんは、すべて終わったという充実感を味わいながら、北支部の岸本ノリコさんとともに研修室から出てきました。
「いまから思うと、あっというまに12回の教育が終わったように感じますね」
テキストやノート、ご供養要具、お弁当箱などを詰め込んで、パンパンにふくれた手さげバッグを胸に抱えた岸本さんがタカエさんに言いました。
岸本さんは、五歳と三歳の男の子の母親です。研修のときは、夫の実家に子どもを預けてきます。その実家がタカエさんの家の近くなので、二人はいつも一緒に帰るのです。
「毎回、宿題の復習・予習プリントがたくさん出されたから、ちょっと辛いなあと感じたこともあったけど、何とか最後まで乗り切れてよかったわ」
「私は、根本仏教や法華経を学ばせていただくのは青年女子部のとき以来二度目なんですが、今回はとても新鮮に感じられました」
「それは、岸本さんの置かれている環境や学ぼうという姿勢が、以前とは違うからだと思うわ」
「そうかもしれませんね。たとえば午前中の四法成就の研修ですが、法華経の真の功徳を得るための一番目の要点として『私たちは諸仏に護られ、大切に念われていることに、絶対の信念を持つことが大事』と教えていただきましたよね」
「ええ。仏さまと私たちは親子の関係であり、仏さまは、いのちの大本の親として、私たち一人ひとりに無条件の愛情を注いでくださっているという真実に目覚め、心の底から確信することが重要なんだということね」
「はい。実際に母親となって、私は初めて子どもに絶対の愛情を注ぐ親の気持ちが理解できたんです。仏さまは、こうした思いで、私たちを見守り、よりよく成長できるようにと、折にふれて適切な学びの機会をくださっているんだと、実感としてとらえることができたんです」
心を育てる
「私たちは辛いことや悲しいことをたびたび経験するけど、それは仏さまが私たちを苦しめるために、そういう現象を与えているわけではないものね。私たちをよりよく成長・向上させてあげたい、心豊かで人さまの役に立てるような人間に育ってほしいと願って、さまざまな現象をくださっているのよね」
「ほんとうにそうですよね。研修が始まってまもないころは、子どもを夫の実家に迎えに行くたびに、義母から文句を言われたんです。『子どもたちがまだ箸を上手に使えないんで驚いた。どういうしつけをしているの』『服や靴下がこんなにほころびているのに、平気で着せている親がありますか』というのはまだ序の口のほうで・・・・・。
でも研修で学ばせていただいているうちに、義母は一人前の母親気取りになっている私に、子どもに対する目配りや、ふれあい方を真剣に教えてくださっているんだ。仏さまは義母をとおして、私を育ててくださっているんだと思えるようになったんです」
「目の前に起きていることを、仏さまの慈悲の表われだと、瞬時には思えないときもあるけれど、その慈悲を見逃さないで、あとからでも確実にキャッチして、味わっていくことが大切なのね。その味わいのなかに、仏さまに護られているという安らぎを感じられるんだわ」
「はい。それともう一つ、きょうは新しい発見があったんです。四法成就の二番目の要点に『いつも善い行ないを心がける』が挙げられていますが、私はいままで経典にある『諸の徳本を植え』とは、「単に善いことを実践することだと思っていたんです。でも、善い行ないとは、善い心を育てることでもあると教えていただいて、なるほどと思ったんですよ」
「岸本さん、私も同じことを感じたの。講師さんが言っていたように、本を読もうと思うから本を手にするし、水を飲みたいから水の入ったコップを口にもっていくのよね。このように人間は、まず心に思ったことを行動に移す。だから、善い行ないを実践するには、善い心を育てていくことが大事ということね」
「ええ。その善い心というのが『慈=人を幸せにしてあげたいと思う心』『悲=人の苦しみを取り除いてあげたいと思う心』『喜=人の喜びを一緒に喜んであげられる心』『捨=どんなことに出会ってもありのままに受けとめて、怒ったり驚いたり過剰に反応しない安らかな心。すなわち、人に施した恩も、人から受けた害も忘れ、一切の報いを捨て去る心』の四無量心のことだったんですね」
「私は以前、四無量心とは仏さまと同じいのちのはたらきである仏性のことだと学んだことがあるの。仏性を育てていくためにも、四法成就の三番目である『同信の仲間に入る』ことが必要であり、仏性を育てていくほど、四番目の『すべての人の幸せを願って行動すること』が自然とできるようになっていくのね」
「心のあり方ということが、最も大事なんですね」