法華経のあらましと要点

仏説観普賢菩薩行法経

このお(きょう)は、《(みょう)(ほう)(れん)()(きょう)》の(さい)()の《()(げん)()(さつ)(かん)(ぼつ)(ぽん)(だい)()(じゅう)(はち)》のあとを()けて、さらに()(げん)()(さつ)(しゅ)(やく)として()かれたもので、(てっ)(てい)した(さん)()(ほう)をお()きになっているために、(いち)(めい)(さん)()(きょう)》と()ばれています。

()(げん)()(さつ)(かん)ずる

(だい)(めい)の〈()(げん)()(さつ)(かん)ずる(ぎょう)(ぼう)〉というのは、()(げん)()(さつ)の〈(ぎょう)〉の(とく)をしっかりとみつめることによって、その(せい)(しん)()(ぶん)(こころ)(いっ)()するようになり、(こころ)(ぶつ)(どう)(さだ)まり、ついに()(げん)()(さつ)とおなじような〈(ぎょう)〉ができるようになる、そのような(しゅ)(ぎょう)(ほう)(ほう)……という()()です。
この(ほん)には〈()(げん)()(さつ)()()る〉ということがくりかえしくりかえし()かれていますが、それはつまり、()(ぶん)(こころ)()(げん)()(さつ)(せい)(しん)にピタリと(いっ)()するということにほかなりません。まだそのような(きょう)()にたっしていないならば、(しゅ)(ぎょう)のいたらなさを(はん)(せい)(さん)()する(ひつ)(よう)があるというのです。
また、〈()(げん)()(さつ)()()る〉ことができても、それで(まん)(ぞく)せず、こんどは〈(ぶっ)(しん)()る〉ように()(りょく)しなければならぬことが()かれています。(ほとけ)さまのみ(こころ)(いっ)()することができてこそ、(しゅ)(ぎょう)(かん)(せい)があるからです。

(さん)()(きょく)()(じっ)(そう)をおもうこと

それゆえに、〈(さん)()(きょく)()(しょ)(ほう)(じっ)(そう)(おも)うことである〉と()かれています。(しょ)(ほう)(じっ)(そう)というのは(だい)(いち)()(くう)ということです。(ろく)(じょう)(こん)(さん)()したうえで、このことを(いっ)(しん)()(ゆい)し、(てっ)(てい)することができれば、すなわち(ほとけ)さまのみ(こころ)(いっ)()することができたわけで、もろもろの(つみ)はあたかも(そう)()のごとく、その(だい)()()(ひかり)によって(しょう)(めつ)すると()かれているのです。

(ざい)()(しん)(じゃ)(さん)()(じっ)(せん)

(さい)()(ほとけ)さまは(ざい)()のもの、(とく)(こころ)ある(ひと)びとに、(げん)(じつ)(てき)(さん)()(じっ)(せん)(おし)えてくださいました。
一、(さん)(ぼう)(うやま)い、(しゅっ)()(そう)などの(しん)(こう)(しゅ)(ぎょう)(じゃ)()をせず、(ろく)(ねん)(ほう)(ぶつ)(ぽう)(そう)(かい)()(てん))を(しゅ)し、(だい)(じょう)(おし)えを(たも)つひとをたいせつにし、いつも〈(だい)(いち)()(くう)(しょ)(ほう)(じっ)(そう))〉ということに、(こころ)をとどめていなさい。
二、()()(こう)(よう)をつくし、(せん)(せい)や、()(うえ)のひとを(そん)(けい)しなさい。
三、(しょう)(ぼう)にもとづいて(くに)(おさ)め、まちがった(かんが)えによって、(じん)(みん)(じゃ)(どう)(まが)らせないようにしなさい((せい)()()として調(ちょう)()のとれた(ただ)しい(せい)()(おこ)なうこと。あるいは、()(しき)などのリーダーとして(ただ)しく(ひと)びとを(みちび)くこと)。
四、(つき)の六()(しょう)(じん)()には、()(ぶん)(おさ)めている()()(えい)(きょう)(りょく)(およ)(ところ))に()(こく)をだし、()(はい)(りょく)(えい)(きょう)(りょく))の(およ)ぶかぎりの(ところ)で、あらゆるものの生命(いのち)(そん)(ちょう)するように()びかけなさい。
五、(いん)()(どう)()(ふか)(しん)じ、(ほとけ)(いた)()(さつ)(どう)(しん)じ、()(おん)(ほん)(ぶつ)はつねに()(ぶん)とともにいてくださり、(けっ)して(めっ)しられることのないことを()りなさい。

(ぶっ)(きょう)(そう)まとめ

()(じょう)の五つの(さん)()(じっ)(せん)は、(みん)(しゅ)(しゅ)()(げん)(だい)においては、われわれ一人(ひとり)ひとりが(じっ)(せん)するべき(たい)(せつ)(こう)(もく)であります。(とく)に五つ()の、〈(ただ)(まさ)(ふか)(いん)()(しん)じ、一実(いちじつ)(どう)(しん)じ、(ほとけ)(めっ)したまわずと()るべし〉とのおことば、これこそ、(ぶっ)(きょう)(ぜん)(たい)(そう)まとめした、じつに(とうと)いご()(どう)といわなければなりません。
(いん)()〉とは(げん)(いん)(けっ)()(ほう)(そく)であり、〈(いん)(ねん)(ほう)(もん)〉とも〈(えん)()(ほう)〉ともいい、(ぶっ)(きょう)(こっ)(かく)をなす(おし)えです。
(いち)(じつ)(どう)〉とは、だだひとつの(しん)(じつ)(みち)(ほとけ)になる(みち)()(さつ)(どう)のことです。したがって(ほとけ)(おし)えにはさまざまなちがいがあるようでも、すべてが、あらゆる(しゅ)(じょう)を〈(ほとけ)(きょう)()にみちびく〉というただ一つの(しん)(じつ)につらぬかれているということです。これが〈(いち)(じつ)(どう)〉です。
(ほとけ)(めっ)したまわずと()る〉とは、いうまでもなく、()(おん)(じつ)(じょう)(ほん)(ぶつ)()(しょう)()(めつ)であり、われわれはその()(おん)(ほん)(ぶつ)()かされているのだという(しん)(じつ)()ることです。
この三つの(しん)(こころ)のなかに(かく)(りつ)すれば、いかなる(ひと)もほんとうに()(ゆう)()(ざい)(しん)(きょう)にたっすることができます。それこそが、ほんとうの(すく)いなのであります。まことにこれは、(ほっ)()(さん)()(きょう)(とう)()(かざ)るにふさわしい(たい)(きん)(げん)なのであります。

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