法華経の成立と伝弘
これからの仏教は世界の宗教
日本国じゅうだけではありません。仏の教えを新しく見直そうという動きは、いまや世界全体に潮のように起こっています。欧米の進歩的な人びとには、一神教にも、無神論にも、唯物主義にもあきたらず、最後に仏教に解決を求めようとする人が少なくありません。共産主義国である中華人民共和国でさえも、新しい倫理(人間のふみ行なうべき道)の原理として、仏教の教えをとりあげているときいています。
ほんとうに、いまこそ大切なときです。いまのうちに地球上の人間が仏の教えにたちかえって、「人間の尊厳」ということをしっかりと考え、「自分と他人をともに生かす」という生きかたにもどらないかぎり、人類はいっぺんに滅びてしまうことにもなりかねないのです。
このときにあたって、わたしがいちばん残念に思うのは、仏の最高の教えのこめられた「法華経」の見かけが、いかにもむずかしそうであることです。そして限られた人たちだけの研究物か、宗教専門家たちの占有物のようになっていることです。そのために、日本中の人びと、いな地球上全体の人びとにほんとうに親しまれず、理解されず、したがって人びとの生活の中へ浸みとおってゆきにくいということです。
わたしがこの本を書こうと考えた趣意の第一は、ここにあるのです。あくまでも「法華経」の元の形は尊重しますけれども、何よりも大切なその精神が、現代の人びとに理解され、共感されるようにということを本意として、解説してみようと考えたわけです。
「法華経」は、一部分だけ読んだのでは理解されるものではありません。「法華経」は、深い教えであると同時に、すばらしい芸術作品であるともいわれておりますとおり、お経の全体がひとつの劇のようにあらわされています。だから、初めから終わりまで読みとおさなければ、ほんとうの意味をつかむことはできません。ところが、あのむずかしいことばの多いお経を初めから終わりまで読みとおして、その意味をつかむのは、容易なことではないのです。どうしても、現代人の頭で理解できるような解説が必要なのです。わたしがこの本を書こうとした第二の趣意はここにあるのです。
しかし、高度の芸術作品であるだけに、あくまでも元の形は尊重しなければなりません。また、芸術作品であるだけに、その経典(かなまじり訳でもよい)には、わたしたちの魂に浸みこんでくるような、なんともいえぬ力強さがあります。それで、この本を読まれるときに、経典を参照しながら読まれると、なおいっそうよく理解できることと思います。その参考のために、平楽寺書店版の『訓訳妙法華経並開結』の何頁何行目にあるかということを、傍注によって示しておきました。もちろん、それは、特別に深く研究しようと思う人のためであって、「法華経」の精神はこの本だけでも十分会得できるはずです。
そうして、この本によって「法華経」全体の精神を理解したうえで、要所要所を経典によって朝夕読誦されるならば、その精神はますます強く心の底に植えつけられ、それはかならず日常生活の行ないのうえに現われ、そしてあなたの前には新しい人生が開けてくるでしょう。それを念じ、それを信じて、この本を書く次第であります。