法華経の成立と伝弘
「法華経」はわが国文明の基礎
羅什訳の「法華経」が難波(いまの大阪)に着いたのが五七七年で、それから三十八年後には、聖徳太子のお手によって日本最初の解説書「法華義疏」がつくられています。この「法華義疏」こそ、現存している日本の書物のうちでいちばん古い書物なのです。
聖徳太子は、「法華経」の思想にもとづいて有名な「十七条憲法」をつくられ、はじめて日本の「国の法」と「人間のふみ行なうべき法」をうちたてられました。このときから日本に「文明」が開けたといっても過言ではありません。わが日本の文明の夜明けが、ほかならぬ「法華経」の精神によってなされたという大事実を、われわれは忘れてはならないのです。そのとき以来、じつに千四百年、われわれの胸には、われわれの血には、「法華経」の精神が脈々と流れつづけているのです。
その後、このお経の教えの弘通に力をいれられた方は伝教大師(最澄)、承陽大師(道元)、その他数々ありましたが、とくに立正大師日蓮聖人が、身命をなげうってこれに新しい生命を吹き込み、広宣流布につとめられた偉業は、いまさら申すまでもありません。