法華経の成立と伝弘
「法華経」は人間主義の教え
それから七百年の年月がたちました。かつて釈尊入滅後その教えが次第に生き生きした力を失ってゆき、七百年後に「法華経」が生まれたことによってもとの生命をとりもどしました。不思議なことには、聖徳太子以後七百年のあいだにも同じようなことが起こり、そこで日蓮聖人が世に出られたわけですが、またその後の七百年のあいだに、「法華経」のほんとうの精神はいつしか忘れられ、ぬけがらだけになってしまったのです。ただうちわ太鼓をたたいて「南無妙法蓮華経」をくり返して唱えれば救われるとか、「おまんだら」を拝みさえすれば願いがかなうとか、たいへん低い考えかたにさえ落ちこんでしまいました。
「法華経」は、その内容が尊いのです。その精神が尊いのです。そして、その教えを実行することが尊いのです。その教えを理解し、信じ、実行することによって、普通の社会生活をいとなみながらも、いろいろな悩みや苦しみにとらわれない心境へ次第に近づいてゆく。人と人とがなかよくし、人のためにつくさねばいられないような気持になってゆく。たとえ一日のうちの数時間でもそういった気持になってくれば、その人の健康も環境も自然に変わってくる──それがほんとうの救いなのです。世界じゅうの人間みんなが、そんな気持になり、みんなが平和に、幸せにくらしてゆくようになる──それが「法華経」の窮極の理想であり、願いなのです。
まことに、「法華経」は「人間尊重」の教えであり、「人間完成」の教えであり、「人類平和」の教えです。一言にしていえば、人間主義(ヒューマニズム)の教えなのです。日蓮聖人入滅後まさに七百年、いまこそわたしたちはこの教えの神髄にたちかえって、自分自身のため、家族のため、人のため、世の中のために、よりよい生活を築いていこうではありませんか。