法華経のあらましと要点

五百弟子受記品第八

この(ほん)は、()()()をはじめとするたくさんの(こう)(てい)たちに、「かならず(ほとけ)(きょう)()にたっするであろう」という()(しょう)があたえられる(しょう)です。
()()()は、(ほう)(みょう)(にょ)(らい)という()(ほとけ)となり、その(ほか)(ひと)たちは、すべて()(みょう)(にょ)(らい)という()(ほとけ)となるだろうと()(しょう)され、また、〈()(もろもろ)(しょう)(もん)(しゅ)も (また)(まさ)(また)(かく)(ごと)くなるべし〉とおおせられています。すなわち、(ほとけ)(おし)えを()いて(さと)りを()ようと(いっ)(しん)につとめるものは、いつかはのこらず(ほとけ)(さと)りを()()(みょう)(にょ)(らい)になるのだと(じゅ)()されたのです。
しかも、()()()(しょう)に〈()()()()らざるは (なんじ)(まさ)(ため)(せん)(ぜつ)すべし(このことを(つた)えよ)〉と(めい)ぜられています。これは、(ちょく)(せつ)にはさきに《(ほう)便(べん)(ぽん)》の(せっ)(ぽう)()(ちゅう)()()っていった()(せん)()()(ひと)たちをさしているのだといわれています。つまり、「(いち)()(ほとけ)(おし)えを()(えん)をもったものは、(いち)()退(たい)(てん)することがあるかもしれないが、しかしその(えん)はかならずあとで()をふいて、いつかは(ぶつ)(どう)にたちもどり、(ほとけ)(さと)りを()るであろう」というわけです。
さらにまた、(こう)(せい)(ぶつ)()()であるわれわれも、()()(きょう)(おし)えを(まな)び、(じっ)(せん)していけば、かならず()(みょう)(にょ)(らい)になれるということになります。

みんな()(みょう)(にょ)(らい)

()とは(あまね)くということですから、()(みょう)(にょ)(らい)とは、()(なか)をあまねく(こう)(みょう)()する(にょ)(らい)ということです。この(ほん)(せっ)(ぽう)のなかに〈(てん)()して(じゅ)()せん〉というおことばがあり、それは、(こう)(おつ)へ、(おつ)(へい)へとつぎつぎに(じゅ)()するだろうという()()ですから、(ほとけ)(おし)えを(まな)(ぎょう)ずるわれわれは、いつかはだれかに(じゅ)()されるわけですし、まただれかに(じゅ)()する()()をもっているのです。このようにして、しだいしだいに()(みょう)(にょ)(らい)がふえてくれば、()(なか)(こう)(みょう)いっぱいの(じゃっ)(こう)()()していくわけです。
そういうすばらしい()(しょう)がこの(ほん)(がん)(もく)であると、()けとることができます。いや、そう()けとらなければなりますまい。

()()(けい)(じゅ)(たと)

さて、お(しゃ)()さまから(ちょく)(せつ)(ほとけ)となる()(しょう)をあたえられた()()たちは、おどりあがって(よろこ)び、お(れい)をもうしあげるとともに、(きょう)(じん)(にょ)一同(いちどう)代表(だいひょう)して、いままでの(だん)(かい)()()()ただけで(まん)(ぞく)していたまちがいを、つぎのような(たと)(ばなし)によって(こく)(はく)します。
「ある(びん)(ぼう)(ひと)が、(しん)(ゆう)をたよってやってきました。(しん)(ゆう)(さけ)さかなをだして()(あつ)くもてなしてくれましたので、その(ひと)はすっかり()っぱらい、いつのまにか(ねむ)ってしまいました。
ところが、その(しん)(ゆう)は、(きゅう)(こう)(よう)()かけなければならなくなりました。()ている(とも)だちを()こすのも()(どく)だとおもい、その(ひと)のために、はかりしれないほどの()うちのある(ほう)(せき)()(もの)(うら)()いつけておいて()かけたのです。
()がさめたその(ひと)は、(しん)(ゆう)(なが)(しゅっ)(ちょう)()かけたと()り、しかたなく()()りましたが、あいかわらずの(びん)(ぼう)ぐらしで、ついに(ほう)(ろう)(せい)(かつ)にはいりました。そして、()(しょく)のためにたいへんな()(ろう)をし、ほんのすこしでも(しゅう)(にゅう)があれば、それで(まん)(ぞく)するという状態(じょうたい)でした。
ずいぶんたってから、その(ひと)は、むかしの(しん)(ゆう)(みち)でバッタリ()()いました。(しん)(ゆう)はあいもかわらぬそのあわれなすがたを()て、『なんという(おろ)かなことだ。わたしは(きみ)(あん)(らく)()らせるようにとおもって、()(もの)(うら)(こう)()(ほう)(せき)()いつけておいたのに』といいます。そして、あっけにとられている(とも)だちの(あか)じみた(えり)(うら)からその(ほう)(せき)をとりだしてやり、『さあ、これを()って、なんでも(ひつ)(よう)なものを()いなさい。なに()(そく)ない(せい)(かつ)ができるよ』というのでした」
この(たと)(ばなし)をした(きょう)(じん)(にょ)は、「(ほとけ)さまも、この親友(しんゆう)のようなお(かた)でございます。(ほとけ)さまがまだ()(さつ)であられたころ、わたくしたちに『だれにも(いち)(よう)(ぶっ)(しょう)(はかりしれぬ()うちのある(ほう)(せき))がそなわっているのだから、(しゅ)(ぎょう)して(ほとけ)(さと)りをひらくように……』と(おし)えてくださったのですが、わたくしたちの(こころ)(ねむ)りこけていて、その(しん)()をつかむことができませんでした。そして、ただ(ぼん)(のう)(のぞ)くことができただけで、それを(さと)りだとおもいこんでおりました。しかし、(こころ)(そこ)にはほんとうの(ほとけ)(さと)りを(もと)める(こころ)(のこ)っていたのでございましょう。なんとなく、もの()りない(かん)じはいたしておりました。いま、()(そん)は、わたくしどもの()をハッキリ()まさせてくださいました。いまこそわたくしどもは、()(さつ)です。これから()(さつ)としての(しゅ)(ぎょう)()()(ひと)のためにつくしていけば、ついには(ほとけ)になれるのだということがわかりました。こんなありがたいことはございません」と、(こころ)からお(れい)をもうしあげて、この(ほん)()わりとなります。

(にん)(げん)()(ぶん)(ほん)(しつ)()らない

(ぶっ)(しょう)には〈(ほとけ)になりうる()(のう)(せい)〉という()()と、〈(ほとけ)そのもの〉という()()とがあります。(ぜん)(しゃ)は、どのような(ひと)であっても()(りょく)()(だい)で、いつかは(かなら)(ほとけ)となることができるということで、(ぶっ)(しょう)ということを(しゅ)(ぎょう)という(めん)からとらえた()()です。(こう)(しゃ)は、すべての(ひと)(ほん)(しつ)(ほとけ)(ほん)(しょう)そのものであるということで、(ぶっ)(しょう)ということをその(ほん)(しつ)からとらえた()()です。
われわれは、みんな、こういう()()(ぶっ)(しょう)をもっているのですが、なかなかそれを()(かく)できません。なぜかといえば、「()(しょく)()われてあくせく(はたら)き、(よく)(ぼう)()って()(おう)()(おう)しているこの()、この(こころ)()(ぶん)なのだ」と、すっかりおもいこんでいるからです。この(はなし)のなかの(びん)(ぼう)(ひと)が、そういったわれわれ(ぼん)()のすがたなのです。
(かね)()ちの(ゆう)(じん)すなわち()(おん)(ほん)(ぶつ)は、どんな(ぼん)()にも(ぶっ)(しょう)という(とうと)(ほう)(せき)をちゃんとあたえてくださっているのに、われわれ(ぼん)()は、(よく)(ぼう)(まん)(ぞく)のみを()(もと)めていますので、なかなかそれに()がつきません。それゆえ、いっこうに(すく)われず、あくせくと()(じん)(せい)(おく)っているのです。

(しゃ)()さまの(おし)えではじめてわかる

ところが、この()にあらわれた(ほとけ)であられるお(しゃ)()さまが、「すべての(にん)(げん)には(びょう)(どう)(ぶっ)(しょう)がある(()(もの)(うら)()()(ほう)(じゅ)をもっている)のだよ」と(おし)えてくださって、はじめてわれわれはそれに()がつきました。それに()がついた(しゅん)(かん)(こころ)がひろびろとなり、(あか)るくなり、()(ゆう)()(ざい)になり、これからさきの(じん)(せい)(おお)きな()(しん)がついてきたのです。

すでに(すく)われているのだ

つまり、この(たと)えには、「われわれは、ほんとうはすでに(すく)われているのだ。われわれの(ほん)(しつ)は、()(おん)(ほん)(ぶつ)(いっ)(たい)の、()(ゆう)()(ざい)(ぶっ)(しょう)なのだ。その()(じつ)()らないために、()(じん)(せい)をさまよっているのだ。だから、(すく)われるのは、なにもむずかしいことではない。()(ぶん)(ほん)(しつ)(ぶっ)(しょう)であること、つまり、はじめから(すく)われているのだということを(しん)()(かく)しさえすればそれでいいのだ」という(おし)えがのべられているわけです。

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