4月8日、「降誕会」式典が大聖堂はじめ全国各教会で行われました。大聖堂の式典では、奉献の儀、稚児讃歎文奏上、体験説法の後、庭野日鑛会長が登壇し、法話を述べました。また、「花まつりをもっと身近にキャンペーン」に伴い、6、7の両日には、本部周辺の町会、商店会の協力を得て、5カ所に花御堂を設置。8日には、大聖堂正面玄関や法輪閣庭園入口、本会発祥の地・修養道場に花御堂が設置され、甘茶接待が行われました。
大聖堂には団参参加者など約4000人が参集しました。会員たちは佼成箏曲部による序奏が流れる中、正面玄関に設置された花御堂で誕生仏に甘茶をかけ、式典に臨みました。
開式の辞のあと、佼成合唱団が歌う「降誕讃歌」に合わせ、青年女子部員20人が奉献の儀。庭野会長が導師を務め読経供養、続いて啓白文を奏上し、聖壇に設けられた花御堂で灌仏しました。
稚児讃歎文奏上の後、佼成育子園の園児16人が遊戯を披露。会場の笑顔と拍手を誘いました。
続いて、来会中のベトナム仏教僧侶、ティック・トン・ハイ師があいさつしました。ハイ師はベトナム戦争後、フィリピンで難民生活を余儀なくされていました。当時、本会の「青年平和使節団」が難民キャンプを訪れ、援助の手を差し伸べたことに対し、謝意を表しました。
古谷佳子岩国教会長は体験説法の中で、他界した両親への供養を通して、希薄な家族関係を改善していった会員の信仰体験を紹介。「真理、法に則して生きる喜びを、多くの人と分かち合えるよう、これまでにも増して布教伝道に邁進させて頂きます」と発表しました。
次いで、フランシス・アリンゼ・バチカン諸宗教対話評議会長官から寄せられたメッセージを司会者が代読。米国同時多発テロをはじめとしたテロリズム、安楽死や中絶など医療現場における生命倫理の問題に触れ、「カトリック信者と仏教徒は、人間の尊厳に相応しい具体的な生き方ができるための必要条件が、すべて整えられるような『生命の文化』を共に手を携えて築き上げるべきです」と述べました。
次いで登壇した庭野会長は法話の中で、釈尊誕生の際の言葉『天上天下唯我独尊』を説明。「自らのいのちの尊さに目覚めるものは、他のいのちの尊さにも目覚め、合掌礼拝することができます。そこには平和な世界が訪れます。この言葉は、私たちが人間としてこの世に生まれてきて、最も大事なことを教えてくださっているのです」と述べました。
式典終了後、118人の子どもたちが聖壇前から一乗宝塔までお練り供養を行いました。一乗宝塔の前には仮設舞台が設けられ、佼成箏曲部が演奏を披露しました。
なお、7日夜にはテノール歌手・新垣勉さんを招き、大聖堂で「降誕会特別コンサート」が開かれました。
花まつりへのメッセージ
バチカン諸宗教対話評議会長官 フランシス・アリンゼ枢機卿
親愛なる仏教徒の皆さん
今年も灌仏会にあたって、教皇庁諸宗教対話評議会を代表し心からのお祝いを申しあげます。世界中の仏教徒の皆さんが喜びに満ちた素晴らしい祝日を迎えることが出来るようお祈りいたしております。
今このお祝いの言葉を述べながらも去年の9月11日に起こったあの衝撃的な出来事を思い出さずにはいられません。あの時以来世界中の人々が未来に関して新たな恐れを抱いています。このような恐れの最中にあって、未来に向けてより平和な世界の実現のため、希望をはぐくみ、そしてこの希望に基づく文化を築き上げるのは、善意あるあらゆる人々と共にキリスト教徒、仏教徒としてのわたしたちの義務ではないでしょうか。
今日、わたしたちは高度に発展した技術社会に生きています。この事実は、人間的価値観促進に関して様々な問題を提起します。このことについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。受胎の最初の瞬間から自然死に至るまでの各自の生命に対する権利は、人間的価値の中で疑いなく最も重要なものの一つです。しかしながら、この生命に対する権利が、高度に進歩した技術に操作されると言う深刻なパラドックスともなっていると考えるべきです。このようなパラドックスは「死の文化」を作りだすまでになています。そこでは、中絶や安楽死、または生命そのものに関する技術的実験行為が、あることろではすでに、また他のところではこれから法的にも認可されるだろうという事態にまで発展しています。何のとがもない無防備な生命や回復の希望のない病に犯された生命を死に追いやるような「死の文化」と何千という罪なき人々を虐殺するというあの9月11日のテロリズムとの間に何らかの相関関係を見出すことが出来るのではないでしょうか。双方とも人間の生命についての概念に起因するものです。
仏教の教えや伝統は、ありとあらゆるもの、たとえ何の意味もないように見えるものをも尊重しています。何の価値もないようにみなされるものに対してもこれほどの配慮を示すのであれば、わたしたちキリスト者が、神ご自身の似姿として創造されたと信じる人間に対してはどれほどの尊敬を抱くことでしょう。人間の尊厳とその権利は、確かに近年カトリック信者たちが関心を示す最も重要な問題です。生命の権利が、自然死に至るまで完全に保護され、かつ、人間の尊厳に相応しい具体的な生き方が出来るための必要条件が、すべて整えられるような「生命の文化」をカトリック信者と仏教徒は、共に手を携えて築き上げるべきです。これこそ「死の文化」を阻止し打ち破るための方策だと思います。
人間の生命に対する尊敬は、社会的な現実となる以前に人々の心の中にこそはぐくまれるものだというのが、わたしたちの共通の確信です。ここでわたしは、おそらく、自分たち自身が目の当たりにしたあの悲劇的な出来事に躓き、最もその心を痛めている若者たちに特別な注意を向けてみたいと思います。生命の尊重に向けての若者たちの教育は今日最も急を要する事柄の一つです。青少年たちの間で確固たる倫理的確信や生命の文化が何よりも価値をもつようにするために、若者たちの教育についてわたしたちはそれぞれの宗教団体を通じて分かち合いをすることが出来るでしょう。社会全体の中に生命の文化と倫理がなによりも大切にされるようになって、はじめて生命尊重の原理が社会の中にも法制度にも根づくのを期待することが出来るのです。
親愛なる仏教徒の皆さん、これが今年皆さんと分かち合いたかった思いです。すべての人々にとってより平和で幸福な世界をもたらすだろうとの希望をもって、共に未来に目を向けましょう。灌仏会おめでとうございます。
2002年4月8日 バチカンにて、
バチカン諸宗教対話評議会長官
フランシス・アリンゼ枢機卿
(2002.04.24記載)