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2002年05月09日 庭野平和賞受賞記念対談

<出席者>
カトリック名誉司教 サミュエル・ルイス・ガルシア師
庭野平和財団 庭野 日鑛総裁

「第19回庭野平和賞」が、メキシコおよび中南米地域で人権擁護活動に携わり、特に社会的、政治的、経済的な抑圧を受け続けてきたメキシコ先住民(インディオ)の地位向上、文化復興に身を賭して取り組んできたサミュエル・ルイス・ガルシア師に贈られました。中南米地域でのさまざまな矛盾は、同時に世界諸地域の現状を象徴し、今後の新しい世界を築き上げていく上で、かけがえのない教訓と示唆を与えています。今回の記念対談では、「真の共生」とは何か、そのために何をすべきかを、宗教者の立場からお話し頂きました。

ルイス 先ほど、立正佼成会の皆さまに、大変素晴らしい歓迎(大聖堂での歓迎セレモニー)をして頂きました。感動して、涙が止まりませんでした。それほど感激いたしました。ありがとうございました。

庭野 ルイス師に、庭野平和賞を贈呈させて頂けることは、庭野平和財団として光栄の一言に尽きます。
来日されるにあたり、ルイス師に関する資料を拝見させて頂きました。ルイス師は、第二バチカン公会議に参加されています。私どもの開祖も異教徒としてお招きを頂き、同じ会議に参加しております。またルイス師は、ローマ教皇庁立グレゴリアン大学で学ばれたと伺っています。私の長女の夫も、同じ大学で学び、ちょうど今、論文を書いているところです。何かたくさんの共通点があり、非常に親しみを感じております。

ルイス 今回、庭野平和賞を受賞させて頂き、驚きと同時に大変光栄に思いました。と申しますのは、庭野平和賞は、画一的な対象者に贈られるのではなく、宗教的にも実践面でも、さまざまな背景を持った方々に幅広く贈られる賞だからです。
もう一つは「第1回庭野平和賞」の受賞者が、ブラジルのヘルダー・ペソア・カマラ大司教であったことです。彼とは友人であり、世界のさまざまなところで出会い、交流してきました。第1回の受賞者が、カトリックの司教だったことを非常に印象深く受け止めました。
また、立正佼成会や庭野平和財団に関する書物を読ませて頂き、庭野日敬先生が、貧しい人々のために献身的な努力を重ねてこられたことをあらためて知ることができました。私たちと同じラインの上に、立正佼成会、庭野平和財団の活動があることを再確認したのです。
とりわけ、庭野平和賞が、人と人とのつながり、世界中の人々との連帯を目指しておられることには、感服しています。
庭野平和賞を頂くことに関しては、いま申し上げましたように、さまざまな意義付けが、心にわいてまいります。私はもう77歳になり、人生の終わりも近づいています。しかし、この賞を頂いたことで、これまで私たちがなしてきたことが、後に続く多くの人々によって、リニューアル、再生されていくことを確信しています。
そして最後に、現在でも人権抑圧などによって困難を極めている人々にとっても、今回の受賞は大きな意味を持つということを、総裁にお伝えしたいと思います。
庭野 長年にわたる平和へのご尽力に、あらためて敬意を表したいと思います。ルイス師は、メキシコや中南米地域での人権擁護活動に関(かか)わり、特に政治的・経済的・社会的な抑圧を受けてきた先住の人々に光を当て、その地位向上、文化復興に取り組んでこられました。
私ども仏教徒の言葉で言えば、ルイス師は、まさに菩薩です。本当に素晴らしい菩薩さまに庭野平和賞をお贈りできることは、非常に有り難いことです

司会 本日の対談のテーマは、『新しい世界をつくる根本の価値観』とさせて頂きました。ラテンアメリカはじめ世界各地では、いまだ不平等や不正義が存在します。その根本の原因はどこにあるとお考えですか。

ルイス 一人の人間のなせる業ではなく、人類の歴史を考えなければならないと思います。
スペインがラテンアメリカを征服したわけですが、その際、先住民(インディオ)は、西洋の価値観あるいは宗教というものを押しつけられ、経済的にも搾取されました。
当時、ラテンアメリカには、スペイン本国、実際の征服者、教会という三者が存在していましたが、カトリック教会も、西洋の価値観、文化を一方的にインディオ社会に押しつけていたのです。従ってインディオは、自分たちの信仰や文化を表現する機会を奪われました。その後、バチカンは、そうした押しつけを反省し、状況は変わってきています。
しかしスペインの征服が終わっても、導入された経済システムに、インディオは今も影響を受け続けています。その意味では、植民地状況から、いまだ脱していないと言えます。植民地状況とは、先住民を非常に劣ったものとする見方です。そこから脱していないのです。
人間は、神の子であると、私は思っています。すべての人々が神の子なのですから、いろいろな違いをまず認識し、そして認めなければなりません。そのことが、世界の平和、正義を打ち立てるために、まず大事な点だと思います。

司会 不平等、不正義を生み出す原因について、庭野総裁はどのようにお考えですか。

庭野 ただいま、ルイス師は、歴史と結びつけてお話しくださいました。社会的、経済的な不平等、不正義は、確かに複雑な歴史的背景を抜きにして語ることはできません。
しかし、それらはすべては人間が成すことです。仏教では、人間の持つ独占欲とか所有欲、いわゆる利己主義、貪欲(とんよく)から、さまざまな苦が生じると教えています。それらが根本となり、ラテンアメリカの場合は、西洋的な文化は高度であり、先住の人々の文化は低いものだというような差別的な見方が出てきたのだと思います。こうしたことは、世界のあらゆる地域で見られます。
いまルイス師がおっしゃったように、すべては神の子という立場で見たならば、どちらの文化が高いとか低いとか比較することはできません。人間の利己主義--それが、不平等、不正義を生み出す原因です。

司会 では「共生」を目指すためには、どのような宗教的な精神が必要となるのでしょうか。

庭野 やはりすべては神の子であるという宗教的な精神が大事になります。私たち仏教徒の言葉で言えば、すべては仏の子ということです。あらゆる人々のいのちを尊重できなければ、本当の共生は成り立ちません。皆尊い。だからこそ多様性を尊重する。それが共生のためには、もっとも大事な精神です。
また共生という考え方は、生きとし生けるものすべてが尊い、というところまで広げていかなければなりません。人類だけでなく、自然環境も尊い。人類も自然の一部として、調和を保ちながら成長していく。本来は、そうしたもっと大きな意味での共生を目指していかなければならないのではないでしょうか。
ルイス 「生産をするからこそ価値がある」という見方があります。いま世界は、こうした経済優先主義のシステムに征服されていると思います。その中で、貧しい立場にいる人々が大変苦しんでいます。市場経済の傘は、あまねく開いているのではなく、非常に開き方が狭いのです。傘の中に入っている人々に利益が集中し、それ以外の人々は排除されてしまいます。生産ということが、人間の価値判断基準にさえなっていることは、大きな問題です。
ですから私たちは、経済優先の価値観、倫理、そして経済システムを変えていかなければなりません。しかも宗教的な立場から変えていくのです。私の関(かか)わっている立場から、現実的な共生を考えますと、このことが欠かせないと思います。

庭野 ルイス師のお話は、本当にその通りだと思います。日本の場合、戦争で負け、本当に貧しい中から立ち上がってきました。ですから、早く豊かになりたいという一心で皆が働いてきたわけです。
そして戦後、先進国の一員、経済大国となったのですが、そこには問題も起こってきています。環境破壊がその一つです。大企業に常に富が集中する一方で、経済的に苦しんでいる人も大勢います。先進国と開発途上国との経済格差も進んでいます。
やはり私たちは、宗教的な立場に立ち、皆が仏の子、神の子として尊重されていく世界を目指していかなければなりません。自分の利益、自国の利益のみを追い求めるのではなく、あらゆるいのちが調和し、共生していけるよう、ものごとをもっと大きく見ていかなければならないと思います。

ルイス いまや経済的なシステムも一つの戦争と言えます。人類に対する暴力的なシステムだと思います。
今後は、世界の経済システムとして、富を蓄積していくという考え方から、富を分配していくという方向に変えていくことが大切です。
貧しい人々という存在は、変革への希望に満ちています。そうした人々と未来への計画を分かち合うことが非常に大事です。外からの変革ではなく、社会の内側からの変革です。それは、人類全体にとっても重要な意味をもたらすことになるはずです。
その点で、立正佼成会や庭野平和財団のような諸団体とリンクしながら、貧しい立場にある人々と協働していくことが、緩やかではありますが、もっとも確実な歩みになると思います。

庭野 日本は、経済大国と言われていますが、貧しさについては、歴史的に身をもって体験している国民です。ですから、自分たちが富を得たら、今度はそれを人さまにお分けしていくという大切さは、多くの方がすでに知っているはずです。実際、国際的な援助も重ねています。
ルイス師が指摘された富の分配ということは、共生のために欠かせない要素ですから、国レベルで、また個人のレベルでも、今後一層、真剣に考え、実践していくべきだと思います。

司会 いままでお話し頂いたような価値観を次世代に伝えていくためには、どのような教育が必要となるのでしょうか。

ルイス ちょっと奇妙に聞こえるかもしれませんが、教育というのは、現存のシステムを尊重したり、強化するためだけに存在してはならないということです。むしろ現在のシステムを批判的に見たり、より良い方向に変革していくために教育が必要とされるのです。
そして、どう変革すべきかについても、実は貧しい人々の中に見いだすことができます。貧しい人々は、いろいろなものを分かち合いながら、その中で新しいタイプのシステムをつくり上げています。その意味で、教育のあり方も、貧しい人々の中から発見していけると思うのです。
教育とは、豊かな人々のために、従来の経済システム発展のために使われるものだと思ってはいけません。貧しい人々のために生かされるのが、真の平和教育なのです。

庭野 日本も戦後、経済大国を歩むための教育、良い大学を卒業して良い企業に入るための教育がなされてきました。その結果、ルイス師がおっしゃったように生産性が最優先されるような社会を作り出してしまいました。
しかし教育とはそもそも、人間として人格を完成していくことが目的です。そしてその中心になるのは、やはり宗教教育です。宗教こそ、人間がどうあるべきかを本当の意味で教えているからです。
日本の場合には、私立は別としても、公立学校では宗教的な教育がほとんどなされないできてしまいました。いわば、人間の心に宗教が定着してこなかったということですから、大きな問題です。
平和教育についても、基本になるのは宗教教育です。宗教を中心にした教育がなされていなければ、いろいろな知識や技術も、人を活(い)かすどころか、人を殺す方に使われかねません。一人ひとりを真に「平和な人」にしていくような教育がなされていくべきです。

司会 立正佼成会では、WCRP(世界宗教者平和会議)や新宗連(新日本宗教団体連合会)を中心に、30年余にわたり、諸宗教対話・協力活動を展開してきました。庭野平和財団の諸活動もその一環です。昨年の米国での同時多発テロ事件、ルイス師の言われる経済優先の世界システムなど課題が山積する中で、諸宗教対話・協力活動にどのような可能性があると思われますか。

ルイス 昨年の同時多発テロ事件以降、その解決策として、暴力という回答しか出てきませんでした。そうした暴力的な考え方の中に、人々が組み込まれつつあります。まず、この現状に気づくこと。暴力的な考え方を解決するために、一緒になって働いていく。つまり連帯の世界化ということが大事です。
キリスト教では、善なるものは、すべての人々に表れていると教えます。ですから、あらゆる人々を受け入れ、オープンに対話していくことが大切です。
平和とは、ただ戦争をしないということではなく、人と人、人と自然、人と神がより良い関係を築いていくことです。この考え方を共有し、共に働くことが、宗教協力の意味だと思います。

庭野 諸宗教対話・協力とは、ただ会議をしていれば、諸問題の解決に貢献できるというものではありません。
世界の諸宗教者が、出会いを通して友人となり、まずそこで身近な平和を実現する。そして、互いに違いではなく、普遍的な共通点を見いだしていく。その後は、それぞれの教えを通して、社会のために働く。具体的なことは、やはりそれぞれの宗教が実践するしかありません。
普遍的な共通点を見つけることが大事なんだ、と自覚し、それぞれの宗教が平和活動を展開する--それに尽きると思います。

司会 最後に、今回の対談の印象などについて伺いたいと思います。

庭野 いままでは、資料によってルイス師の情報を得ていただけでしたが、今日、実際にお会いして、本当に素晴らしい活動をしておられることを実感しました。同時に尊敬の念をさらに深くいたしました。
カトリックの司教さまや神父さまは、いろいろな言語を駆使して、教えを説いておられます。それは神の愛を広くお伝えしたいという表れでありましょう。私は英語ができませんから、同じ言葉で対話することができませんでした。そのことは、お詫(わ)びしなければなりません。

ルイス 初めて庭野総裁とお会いできて、精神的なものが、ビンビンと私に伝わってまいりました。
言葉によるコミュニケーションは難しいものですが、それによる距離を全く感じませんでした。庭野総裁は、私と非常に近い存在でした。共通の価値観が、すでに私たちを結びつけていました。いま私は、将来に向けた新しい協力関係を期待することができます。心と心でコミュニケーションすることができ、本当にありがとうございました。

サミュエル・ルイス・ガルシア師プロフィル

「第19回庭野平和賞」受賞者
サミュエル・ルイス・ガルシア師
サンクリストバル・デ・ラス・カサス教区名誉司教

1924年、メキシコ・イラクワト生まれ。イタリアのローマ教皇庁立グレゴリアン大学留学を経て、59年、35歳でメキシコ・チアパス州のサンクリストバル・デ・ラス・カサス教区の司教に任命された。74年、「先住民会議」を開催し、貧しい人々に対する社会活動プログラムに着手。94年、サパティスタ民族解放軍(EZLN)が北米自由貿易協定の発効と合わせて武装蜂起。以後、EZLNと政府間の調停役を務め、両者の平和交渉に尽力。現在は、サンクリストバル・デ・ラス・カサス教区名誉司教、対ラテンアメリカ・キリスト教国際連帯機関「オスカル・A・ロメロ」会長、バルトロメ・デ・ラス・カサス人権センター会長、中米・平和活動諮問機関会長の要職にある。

(2002.06.12記載)