News Archive

2003年02月05日 WCRP日本委員会が「地球環境シンポジウム」開催

WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会開発・環境委員会主催の地球環境問題シンポジウム(環境省後援)が2月5日、京都市・平安神宮会館で開催され、WCRP加盟教団などから230人が参加しました。今年3月、琵琶湖淀川水系の滋賀県、京都府、大阪府を会場に開かれる「第3回世界水フォーラム」に先立って『水と生命を考える』がテーマとされました。

パネリストは、嘉田由紀子・京都精華大学教授(琵琶湖博物館研究顧問)、高井和大・貴船神社宮司(京都古事の森育成協議会会長)、三宅善信・金光教春日丘教会教会長(株式会社レルネット代表)。薗田稔・秩父神社宮司(WCRP日本委員会平和研究所所員)がコーディネーターを務めました。
シンポジウムでは、参加者全員による平和の祈りが捧げられあと、西田多戈止・WCRP日本委員会常務理事(一燈園当番)が開会のあいさつに立ちました。吉田徳久・環境省水環境部長の祝辞(代読)に続き、3氏の基調発題が行われました。
最初に琵琶湖の環境研究に従事してきた嘉田由紀子氏が「琵琶湖周辺での水と人との関わり」について問題提起をしました。嘉田氏は昭和30年代まで、日本国内の農村が井戸や湧き水、川水などの「自然の水」を生活用水として利用していた点を指摘しながら、「当時は生活排水やし尿を河川に流すようなことは決してなかった。水を清浄に保つ工夫が地域のしきたりや掟として残っていたため、水を中心とした地域社会が機能していた」と説明。さらに水に畏敬の念を抱く水神信仰についても触れ、「自然の水を汚す行為は厳しく戒められ、時節ごとに河川に清めの塩がまかれ、人々の心にも精神的な清浄さが保たれていた。しかし、上下水道が発達するにつれ、水は使い捨てられるようになった。水の持つ文化的、多面的な意味が人々に忘れ去られ、モノとして消費されるようになった」と述べました。
水資源を保全していくための今後の課題として、嘉田氏は「水の持つ精神性や宗教性を子供たちに気づいてもらえるよう市民レベルでの活動が重要。『世界子ども水フォーラム』を企画し、それぞれの地域や生態系、歴史文化に根ざした独自の水とのつきあい方を子供たちと探っていきたい」と語りました。
高井和大氏は水の神を祀る貴船神社の信仰を通して、日本人と水の関係を語りました。高井氏は「私たち祖先は水の神を信仰の対象としていた。命の源である水を戴くためには、木の大切さも知っていた。むやみに伐採せず、お供え物をして『一本戴きます』とお断りしてからでないと木を切らなかった。切ったあとには植林するという知恵も持っていた」と水神信仰の尊さを述べました。さらに「小さな島国の日本が豊かな水に恵まれているのは、祖先の植林のお陰であることを私たちは忘れてはならない。自然からはかり知れない恵みを受け、森羅万象の神々の働きに手を合わせてきた謙虚な祖先の心を、現代人の心に取り戻していくことが必要」と強調しました。
また、三宅善信氏は都市文明の発達と水の関係を説明。「世界の古代文明を振り返ると、都市国家の出現はどれも河川と密接な関係がある。都市国家の滅亡は人口増加による森林の破壊から始まっている。森林を伐採して、農地の拡大や建築資材や燃料を確保することは、降雨量を減少させ、気候を乾燥させていった。それは食糧や資源不足につながり、やがては文明を滅亡させた」と語り、現代社会では、水を限りある資源として有効に活用していくために、早急な意識改革を図る必要があると強調しました。
このあと、質疑応答が行われ、シンポジウムは終了。参加者の一人は「家庭で、炊事や洗濯など〝水仕事〟を担う主婦として、水をムダに使わないよう心がけていきたい。限りある水資源の尊さを女性が子供たちに伝えていくことがまず大切。教会の法座や市民サークルなどで、生活レベルで実践できることを仲間と考えていきたい」と話しました。

(2003.02.14記載)