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2003年02月15日 新宗連首都圏総支部が千鳥ヶ淵で「すべてのいのちを尊び 世界の平和を祈る集い」開催

「米国とイラクの緊張が高まるなか 両国の政府に 軍事衝突を回避することを訴えます 『すべてのいのちを尊ぶ世界』のために」。平和を願う人々の真心からのアピールが、千鳥ヶ淵に響きました。2月15日午後、東京・千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で新宗連(新日本宗教団体連合会)首都圏総支部主催の「すべてのいのちを尊び 世界の平和を祈る集い」が開催され、加盟教団会員・信者、市民など約4800人が参集。立正佼成会からも、山野井克典理事長、庭野欽司郎参務はじめ多くの会員が参加しました。

新宗連首都圏総支部は、「信仰を持つ者として、緊張を深めるイラク情勢の平和的解決に向けた祈りを捧げるとともに、世界平和に向け行動していく決意を新たにしよう」という加盟各教団からの声を受け、緊急に同集いの開催を決定。会場には、新宗連と新宗連青年会(新日本宗教青年会連盟)が毎年夏に「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典」を営み、新宗連の祈りの拠点ともなっている同墓苑が選ばれました。
集いでは、深田充啓・新宗連理事長と白柳誠一・カトリック枢機卿が「平和の言葉」を述べました。
深田理事長は、イラク情勢に触れ、暴力に暴力で対抗することが正当化されつつある状況に危機感を呈しながら、「国際紛争解決の手段として、武力を永久に放棄することを宣言している日本国憲法第9条の精神を、世界に伝えていかなければならない」と提言。さらに、「世界のあらゆる宗教は、あらゆる人のいのちが尊ばれ、お互いにいのちを尊んでいくことを大きな願いとしてきた」と述べ、人類という大きないのちの流れを守り続けるために、軍事衝突を回避しなければならない、と平和に向けた行動の大切さを訴えました。
続いて、白柳枢機卿が、「戦争は人間が引き起こすもの」と解説した上で、謙虚に神仏に全幅の信頼を寄せ、絶えず平和を祈り続けていくことが宗教者の本質であり、すべての人類が分かち合う兄弟愛こそが真の平和をもたらす、と説きました。
参加者代表による献花、黙とうに続き、同墓苑に集った4800人全員でアピール文を唱和し、武力行使の悪循環を断ち、すべてのいのちを尊ぶ世界を実現することの大切さを訴えました。歌手KIYOさんのリードで、いのちのふるさとである地球に思いを寄せ『故郷』を合唱、稲子知義・新宗連首都圏総支部会長が閉会の言葉を述べました。
このあと、参集者が持参した花を「六角堂」(納骨堂)に捧げるなど、一人ひとりが祈りを深め、戦没者のみ霊に平和への行動を誓いました。
集いには、立正佼成会からも全国の青年女子部長、東京教区の青年有志など多くの会員が参加。青年部員の一人は、「白柳先生のお言葉から、自分の心から『平和』をつくっていくことの大切さをあらためて教えて頂きました。いつも、何かにつけて不平不満の気持ちが湧き起こる私です。『平和』の尊さを多くの人に伝えていくためにも、自分の心を正しく整えていきたい」と表情を引き締めていました。

新宗連(新日本宗教団体連合会)首都圏総支部主催
「すべてのいのちを尊び 世界の平和を祈る集い」

「平和への言葉」

白柳誠一・カトリック枢機卿

皆さん、私たちは、そして世界は、今、戦争への大きな不安に満たされています。イラク、北朝鮮、パレスチナなど多くの場所に、きな臭いにおいが漂っています。私たちは、この差し迫った現実を前にして、人類が共通の悲願として追い求め、そのために努力してきた平和が、本当に可能であるのかという疑いを持ったり、将来への希望を失いがちであります。人類は、愚かにも、また、あの悲惨な戦争の歴史を繰り返さなければならないのでしょうか。私たちは平和を求めるのに、あたかも疲れを覚えるかのようです。

しかし皆さん、平和は可能です。またどうしても平和を可能にしなければなりません。たしかに世界にはいつも争いの危険がありますが、平和は可能であるとの信念を持たなければなりません。なぜなら、戦争は人間の仕業です。人間が引き起こすものであり、したがって、すべての人間が根本から変わり、戦争を絶対に起こさないという固い決意、信念を持つならば、また、そのような危険な状況が生まれたなら平和的手段をもって、忍耐のうちに誠実を尽くすなら戦争は回避でき、平和は可能なのです。私たちは平和への希望を失ってはならず、疲れをふりはらって、共に歩まなければなりません。

たしかに、そうです。多くの人も同じように考えています。それにもかかわらず、戦争への不安、恐怖は一向に減ることなく、かえって大きくなっているのはいったいなぜなのでしょうか。

それは、人間の持つ二面性によるものです。人間は一方において万物の霊長であると言われるように、人間のみに備わっている理性、すなわち考え、判断し、選択し、実行するというすばらしい精神的能力を持っております。それを駆使し、発揮することによって生活を向上させたり、人間自身の全体的発展をはかり、また平和への絶え間ない努力を続けることができますが、他方に、人間は誠に弱い存在です。力には限界があるだけではなく、飽くなき欲望、罪とか悪への傾きをもっています。従って、望んでも実行できなかったり、してはならないことをしてしまったり、正しいことを実行しても途中で挫折したりしてしまいます。

17世紀のフランスの科学者であり、同時に思想家であったブレーズ・パスカルという人がおりますが、人間の持つこの二面性、すばらしい面と弱い面を表現するのに「人間は考える葦である」という表現を使いました。人間はこの世界で唯一の考える力を持っている優れた存在ですが、また、水辺に生えている葦のように風になびき、倒れてしまいそうな弱い存在でもあると言っているのです。

皆さん、いま、戦争の危険を前にして、私たちは、人間が自分の力だけですべてのことが可能であり、自分の力だけで平和は可能であるとの過信、おごりを捨て、謙虚に弱さを認め、人間の力をはるかに超える方、神仏の助け、力を願わなければならないのです。特に宗教を信ずる者は、私たちのよりどころである神仏に全幅の信頼をもって絶えず平和を求めて祈らなければなりません。祈りは私たちを超える方に対する人間の心の態度であり、宗教者の本質をなすものです。

先ほど、戦争は人間の仕業であると申しましたが、戦争は、また、人間に対する冒涜でもあります。人間の品位を傷つけるだけではなく、人間のもっとも大きな権利、生きる権利を奪うことに連なっているからです。近代戦争は、大量虐殺兵器、科学兵器などによって無辜の人々を不幸にし、家庭を崩壊し、難民を生み、社会秩序を根本から崩壊させるのです。戦争は仕掛けた側、仕掛けられた側、勝者と言われる側、敗者と言われる側、また、それを取り囲む多くの人々、全世界に深い傷を負わせるのです。戦争は決して積極的な善を生み出すことはありません。

戦争は決して物事の解決にはならないのです。どんな優秀な武器があっても、どんなに完全な約束、条約、平和協定などがあっても決して、真の恒久的な平和に寄与するものではありません。歴史の示しているように、不戦条約、平和条約などがいかに簡単に破られてきたか、私たちはよく知っています。

真に平和をもたらすもの、それは、同じ人間性をもつすべての人が互いに兄弟であるという意識をもつことであり、その兄弟の間の思いやり、兄弟愛以外にはないのです。人種、言語、生活環境、文化、宗教、考え方の点では多くの違いがあります。私たちは同じ人間、私たちは兄弟であって、互いに理解し合い、尊敬し合い、愛し合っていくという兄弟愛、隣人愛だけが真に平和をもたらすことができるのです。

今日、ここ千鳥ヶ淵で、私たちの力を超える方の前で、過去の怠慢の赦しを乞い、平和のために働く勇気、力を願い、平和の到来を祈願すると共に、全世界の人が兄弟愛に目覚め、互いに重荷を担い合い、共に生きる決意を新たにいたしましょう。

(2003.02.21記載)