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2003年05月08日 庭野平和賞受賞者記念対談

テーマ 『「非暴力」は神仏の意思』
<出席者>
「オックスフォード・リサーチ・グループ」所長 プリシラ・エルワーズィ博士
庭野平和財団
庭野 日鑛総裁

「第20回庭野平和賞」が、核兵器の廃絶、武器輸出の削減・規制に貢献してきた「オックスフォード・リサーチ・グループ」で所長を務めるプリシラ・エルワーズィ博士に贈られた。エルワーズィ博士は、イラク戦争に対しても、さまざまな立場から非暴力的手段による問題解決を目指し、活動してきた。今回の記念対談では、「力」「暴力」に支配された世界ではなく、愛と慈悲に基づいた世界を創造するための智慧を宗教的な立場からお話し頂いた。(敬称略/司会進行・「佼成新聞」編集部)

司会 まず庭野総裁に、「第20回庭野平和賞」受賞者であるエルワーズィ博士に対する評価についてお伺いします。

庭野 今日、初めてお会いしましたので、資料に基づいた評価になってしまいますが、3点ほど申し上げたいと思います。
第1点は、エルワーズィ博士が、「核兵器を製造したり、使用しようとする人」、また「核兵器に反対する人」を善悪で決めつけたりすることなく、両者が同じテーブルについて議論できる場を提供したことです。
第2に、こうした話し合いの場は、中立的な立場を貫く民間のNGO(非政府機関)だからこそ実現したといえます。特にエルワーズィ博士の人柄、リーダーシップが両者の信頼醸成に大きな役割を果たしていると思います。
3番目としては、諸活動の精神的な背景に、すべての人が「神の子」として「うちなる光」を持つというクゥェ-カーの信仰があり、「高潔さ」「質素」「平等」「共同体」「平和(非暴力)」という倫理規範が活動の根幹を成していることです。このことが、一番大きな基盤となっているのではないでしょうか。

エルワーズィ ありがとうございます。今回、庭野平和賞を頂戴しましたことに、心より感謝申し上げたいと思います。
今朝、大聖堂で歓迎の式典を開いて頂きました。立正佼成会の方々との出会いが心の奥底に響き、本当に感動いたしました。私どもは、この21年間、こうした雰囲気、価値というものを育んでこようとしてきたのです。
近年、仏教の価値観というものが改めて評価されています。英国でも仏教の実践者がかなり多くなってきています。平和のために、命をかけて働く仏教徒の方々が大勢おられることを知っております。仏さまの教えに基づいて、そうした行動をなされているのだと思います。その意味でも、庭野平和賞を頂いたことは、本当に名誉なことです。
私は、庭野総裁のお父さまである庭野日敬開祖さまを尊敬申し上げています。ご著書等を読ませて頂きましたが、庭野開祖さまは、本当に心の底からの叫び、仏さまから与えて頂いた深い使命、仏さまの声というものに基づいて、さまざまな素晴らしい活動をしてこられました。それが現在の立正佼成会に結びついているのだと思います。

司会 本日の対談のテーマは、『「非暴力」は神仏の意思』とさせて頂きました。最近の最も大きな出来事にイラク戦争があります。この戦争をどう受けとめておられますか。

庭野 一般的、政治的にみれば、戦争によって、イラクの民衆が独裁者の支配から解放されたという評価もされています。しかし、宗教的な意味合いからすれば、別の評価がなされると思います。
イラク戦争では、民衆にも兵士にも多数の死傷者が出ています。仏教では不殺生を、最も大事な戒律としています。一人ひとりのいのちは皆等しく尊いのですから、そうしたいのちが失われたことは、非常に残念であり、許されるべきことではありません。また戦争は、人間の心に、いつまでも怨み、憎しみを残してしまいます。それが、さまざまな形で連鎖することは歴史的な事実であります。イラク戦争を現段階でどう評価するかということではなく、もっと長い目で、また宗教的にみていくことが大事です。

エルワーズィ いま庭野総裁がおっしゃったことが真実だと思います。強いていえば、イラクに対して武器を使ったということは、疑いなしに無意味なことです。一人の子供の死というものをどうみるのか。軍事的成功の背景には、本当に無数の犠牲があります。私は、もう少し他の方法があったと思っています。
マーチン・ルーサー・キング牧師は、「憎しみをもって憎しみに立ち向かうことによっては、絶対に敵を除くことはできない。敵意を取り除くことによって、敵を取り除くことができる。愛は、敵を共に変えることのできる唯一の力である」といわれています。
イラク戦争では、世界中の都市でデモ行進などが行われました。多くの人々は言います。「世界には2つのパワーがある。一つはアメリカ。もう一つは民衆のパワーである」と。しかし、先週の日曜日、クゥェ-カーの教会で、ある人がこう言いました。「われわれには、3つ目のパワーがある。それは聖なる知性だ」と。つまり、今回の対談のテーマにある「神仏の意志」ということだと思います。

司会 イラク戦争後、「力こそ正義」という風潮がさらに強くなっていくとの指摘もあります。この点は、どうお考えですか。

庭野 「力こそ正義」ということになりますと、世界からは永遠に戦争がなくならないことになります。こうした価値観が重視されている現実をみると、人類の心というものが真の意味で成長してきたのか、ということを改めて考えてしまいます。
一般的にみれば、イラク戦争によって市民が独裁者から解放されたという側面はあります。しかし、それは決してベストの選択ではありません。先ほど、エルワーズィ博士がおっしゃったように、本来は「聖なる知性」「神仏の力」こそ、武力以上に大きな力を持つのであります。それをもととして、武力によらず、皆が精神的に独立し、自由になれるような平和を実現することが一番の大事です。こうした宗教的な価値観の重要性に、いずれは人類も気づいていくと思います。

エルワーズィ 20世紀は「力こそ正義」ということが語り続けられ、そのように人類も育ってきました。21世紀は、それを考え直す機会だと思います。
今回、日本に来させて頂き、立正佼成会本部の雰囲気にとても心を動かされました。それは、社会に関心をもつという堅固な霊性を感じたからです。皆さまは単なる信仰者ではなく、自らの信仰の証を表すため、世界のための何かをすることをいつも準備しています。そうした連帯感や霊性というものを強く感じたのです。このような宗教の証を、宗教者それぞれが世界のさまざまな場面で表していくことが非常に大事なのではないでしょうか。
21世紀は、「力こそ正義」という価値観を何としても変革していかなければなりません。そのためには、一人ひとりが「自己の変革」から始めることです。何か大きなシステムというようなものを変えろ、変えろというのではなく、自己変革していく。そうした中で、世界が徐々に変わっていくのだと考えています。

司会 エルワーズィ博士は、非暴力的手段による問題解決を目指しておられます。その背景となる考え方についてお聞かせください。

エルワーズィ 私が申し上げたいのは、政策決定をする際、「人間」が重要である、ということです。さまざまな政治的決定をするのは「人間」です。私たちはいつも政治に人間性を与えようとしています。核兵器などの軍事的なことについても同様です。そうした「決定の鍵となる人々」は、政治家や官僚、科学者である前に「人間」です。ですから、まずそのことを念頭において、あらゆる立場にいる人々と話し合いを続けています。
私たちには、思想や宗教的な相違があります。そして、お互いが別々の存在であるかのように感じることがあります。しかし、それは幻想です。人間は、相互に関係し合っています。私たちを結び付けている一番のものは、「生命」の力です。お互いの「生命」をしっかり見つめれば、非暴力こそ最も重要な手段であることが分かります。私たちは、その手段を使って、国際的な紛争などに対処しているのです。

庭野 仏教では「五戒」の中でも「不殺生」を最も重要な戒律としています。いのちの尊さ、尊厳を大切にするからこそ、殺し合いを戒めるのです。このことは、すでに非暴力ということを指し示していると思います。
また釈尊は、慈悲を教えの根幹に据えています。先ほどエルワーズィ博士は、自己変革の重要性をお話しくださいましたが、仏教では、お釈迦さまのような精神的な高みを、一人ひとりが自覚し、自己の中に実現することが一番の大事としています。そうした自覚に立てば、おのずと非暴力、不殺生の道を歩むことになります。
あらゆる宗教は、つきつめますと、結局、非暴力の大切さを説いています。いわば宗教にとっての共通の倫理といってよいと思います。

司会 現実には、「非暴力など無力だ」という人もいます。そうした方には、どのようにお応えになりますか。

エルワーズィ 私ならまず、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領、マーチン・ルーサー・キング牧師、マハトマ・ガンディー翁を見てください、といいます。非暴力は、現実に大きな力を発揮したからです。
マンデラ元大統領は、27年間、投獄されていました。彼は獄中で暴力的な自分を変革し、赦しや慈悲、和解というものを自身の中に見出していきました。そしてアフリカ国民会議の同僚や南アフリカの指導者を説得し、非暴力による平和は可能だと訴えました。
10年前、私は南アフリカに住んでおりました。そして実際には、市民戦争が避けられないと感じていました。しかしマンデラ元大統領のお陰で、500万から600万人の人々が戦争で死なずにすんだのです。

庭野 キリスト教では、神がこの世を創造された、と説いておられます。非暴力には、それと同じ力があるのではないでしょうか。
なぜなら、本来、非暴力という考え方は、人間が生み出したというような狭小なものではありません。「神仏の力」「神仏の意思」そのものである、と受けとめています。人間を超えた力、意思が、非暴力というものの中に込められているのです。
「神がこの世を創造された」ということを、仏教では、妙法、真理がこの世に作用し働いており、あらゆる現象はそのあらわれである、と説いています。非暴力は「神仏の力」そのものである。だとするならば、人類も世界もそれに貫かれて形づくられてきたといえます。そのような根源的な力といえるのです。

司会 先ほど、エルワーズィ博士は、「21世紀には価値観の変革が必要」と指摘されました。その価値観とは、どのようなものですか。

エルワーズィ 人間がすべてのことをできるという傲慢さを捨てなければならないと思います。いま、庭野総裁がおっしゃったように、「人間を超えたものがある」ということを知るべきです。
具体的なことを申し上げると、いま大事なのは、地球と人間のバランスです。今まで人間というのは、地球からあらゆるものを搾取してきました。今後は、母なる地球というものに敬意を払っていかなければなりません。
それをさらに深めていけば、やはり女性の見方、行動というもの尊重すべき時期を迎えていると思います。特に、女性が子供を育てる心、いわば仏さまが教えてくださっている慈悲心というようなものを大事にしていかなければならないと思います。それが恐怖を愛に変えていくことであり、国際関係の中でも非常に大事な要素となっていくのではないでしょうか。

庭野 女性の力を大事にしたいというご意見に、私も同感です。戦争は、やはり男性を中心にして起こってきました。女性には、いのちをいとおしみ、育んでいく包容力があります。生きとし生けるものは全てわが子である、という釈尊の心は、女性の心と一つです。そうした女性の役割、精神を大事にしていくことは、非常に大きなポイントです。
人類はいま、宇宙にまで行く時代を迎えました。初めて宇宙からみることのできた地球は、真っ青な水をたたえた、きれいな母なる星であることが分かりました。仏教にも「この世界は一つの明るい珠だ」という法語があります。これは、先達の観想によるイメージの一表現だくらいに思っていましたが、本当に宇宙から客観的に眺めることができようになって、「この世界は一つの明るい珠だ」ということが事実としてうけとれるようになってきたのです。
この大宇宙の中で、地球という星は、いわば一つのいのちとみることができます。そうした一つのいのちであることに皆が気づき、この美しい地球を大事にしていこう、争いのない世界にしていこう、そして皆が兄弟姉妹なのだ、という自覚に一人ひとりが立っていくことが、21世紀の一番大事な、基本とすべき精神だと思います。

司会 最後に、今回の対談の印象などについて伺いたいと思います。

エルワーズィ 庭野総裁から、多くのことを学ばせて頂きました。ありがとうございました。
立正佼成会には、非常に大きな役割があると思います。なぜなら、立正佼成会は、霊性というものをとても大事にしておられると同時に、社会に影響力のある大教団です。平和に従事する仏教者の集団であると理解しています。
いま、多くの人々が、立正佼成会の智慧というものを求めています。今後、日本はじめ世界に向け、立正佼成会には、自らの立場というものを遠慮なさらずに表明して頂きたいと思います。

庭野 先ほど、21世紀は、女性の力が必要とのお話も出ましたが、本当にエルワーズィ博士をはじめとする「オックスフォード・リサーチ・グループ」の役割は、これらかますます重要になると思います。私共にも支援できることがあれば、させて頂きたい。今回の対談を通し、そうした思いを強くしました。

(2003.06.02記載)