米英軍によるアフガニスタンへの空爆からまもなく2年が経ちます。立正佼成会も加盟する特定非営利活動法人「JEN」は、空爆直後からアフガニスタンの首都カブールを拠点に、各地で活動を続けています。このほど一時帰国した椎名規之・カブール事務所プログラムオフィサーに、プロジェクトの内容や現地の人々の様子などを聞きました。
――現在のプロジェクトについて教えてください。
住宅支援、学校修復、職業訓練の3つが、現在JENが行っているプロジェクトです。空爆直後は、難民、避難民の命を守るため、救援物資の支援などを行ってきました。現在はそうした緊急事態を脱し、本格的な復興支援に移っています。昨年5月から6月にかけ、空爆後、パキスタンなどに逃れていた人たちが、一斉に帰還したことから、破壊された家屋の修復が急務となりました。同時に、故郷に戻ってきたにもかかわらず働き口がないという状況があることから、木材加工の職業訓練を始めました。
アフガニスタンは昔から、日干しレンガなどを使い、自分たちで家を建てる風習があります。そうした知識を生かし、さらに木材加工の技術を身につけることで、自宅の建築だけでなく、「仕事」として成り立つわけです。今は、家一軒に対し、費用の半分をJENが負担し、あとの半分は受益者たちが作った建材を提供しています。わずかな収入ではあっても人々の働く意欲につながっています。
――米英軍による空爆から2年。現地の人々に変化は見られますか?
長年にわたる内戦や、タリバン政権による抑圧を受けてきた人たちが、ようやく「自分たちの手でこの国を復興していこう」という意欲を見せ始めてきた段階にきたと思います。現地の人、特に女性たちの動きが活発化しており、NGO(非政府機関)を立ち上げ、女性の生活改善運動を始めているところもあります。
JENの活動にも、現地の人々の意見が多く取り入れられています。学校修復事業では、以前は、JENがニーズ調査をした上で、支援を行っていたのですが、現在、学校の校長先生や教員、教育局の職員や村の代表と話し合い、支援の内容を決めています。
例えば、JENでは水のタンクを造ることが最優先だと考えていても、実際は「いすや机などを修復したい」という声があり、支援の優先順位を変更することもあります。ただ、時には、「教師のソファがほしい」などという緊急性の低い要望もあるため、ディスカッションを重ねた上で決めています。
現地の人の中には、巨額の支援金を自分たちで運営したい、国連の支援がなくとも自分たちで自立していける、と言う人もいます。その段階までにはまだまだ時間がかかると思いますが、そうした自立の精神が芽生え始めた今、国際社会がアフガニスタンにどうかかわっていくかという視点が非常に重要だと思います。
――今後、新たな活動の予定はありますか?
現在のプロジェクトに加え、女性の自立支援事業をスタートしたいと考えています。アフガニスタンの女性の識字率は4%にも満たないので、識字教育に着手したい。さらに、女性はタリバン政権崩壊後も職がなく、物乞いをしている人も年々増えていることから、伝統工芸のカーペット作りなどを通して収入を得られるような訓練プログラムに着手したいと思っています。また、子供たちの教育も重要な課題です。平和なアフガニスタンを築くためには、子供たちの力が必要です。そのためには、子供たちを教育する教師がしっかりとした考えを持たなくてはなりません。教師の養成にも取り組んでいきたいと考えています。
――立正佼成会の会員にメッセージをお願いします。
アフガニスタン、パキスタンでの活動は、立正佼成会の皆さんに支えられています。空爆後の緊急時には、「アフリカへ毛布をおくる運動」によって集められた1万枚を急きょ、おくって頂きました。質のよいきれいな柄の毛布はとても喜ばれ、体を温めるだけでなく、破壊された窓をふさぐなど、さまざまな用途に使われました。
アフガニスタンは、一時期の緊急事態は脱したものの、まだまだ復興には時間がかかります。イラク戦争や北朝鮮の核問題などで、国際社会の関心が薄れつつありますが、どうか、アフガニスタンのことを忘れずに、私たちJENの活動にも目を向けて頂きたいと思います。今後もアフガニスタンから、できる限り現地の状況をお伝えしていきたいと思っています。皆さんのご支援に心から感謝しています。
(2003.09.12記載)
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