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2003年09月25日 松緑神道大和山の田澤豊弘教主がご逝去、庭野会長が弔問

松緑神道大和山教主の田澤豊弘師(法名・大和松光、WCRP=世界宗教者平和会議=日本委員会理事、新宗連=新日本宗教団体連合会=常務理事)が9月23日、肺がんのため青森県立中央病院で逝去されました。満60歳でした。訃報に触れ、庭野会長は同25日午後、青森県東津軽郡平内町の松緑神道大和山本部を弔問し、遺族に弔意を伝えました。翌26日に教団本部「神集閣」で執り行われた「密葬告別祭」には、立正佼成会を代表して天谷忠央教学委員長が参列しました。

田澤師は昭和18年、青森県に生まれました。旧国鉄青森機関区に就職後、昭和44年、同教団本部に奉職し、大和山連合青年会幹事長、宣教部長、責任役員などの役職を歴任しました。平成9年、同教団初代教主・田澤康三郎師の逝去に伴い、54歳で第2代教主に就任しました。
「机上高く積まれた教えも実行しなければ何の役にも立たない。一つの教えを行じる情熱と勇気が大切」と説き、信者の育成や布教活動に力を注ぐ一方、「一食を捧げ一欲を節する運動」、大和山チャリティーバザー、アジア諸国に対する医療・福祉・教育援助、「中華民国(台湾)平和使節団」の派遣など、平和活動の推進にも積極的に取り組んできました。
宗教協力活動にも尽力し、新宗連では青年会委員長、企画委員長、常任理事などを歴任しました。また、WCRP日本委員会では青年部会幹事長、難民委員会委員長、平和開発基金委員長、評議員、理事などの要職を務めました。これらの活動を通して、庭野開祖、庭野会長とも交誼を深めました。
昭和50年には本会の「第3回青年の船」に同行。同教団の「一食を捧げ一欲を節する運動」を実践する田澤師の姿が本会会員の共感を呼び、その後、本会が「一食を捧げる運動」に取り組むこととなりました。
平成7年から昨年まで庭野平和財団評議員を務めました。
また、平成11年の本会創立61周年記念式典では祝辞を述べました。同式典は、庭野開祖が出席した最後の公式行事です。田澤師は、自身と庭野開祖の縁の深さをことあるごとに周囲の人々に伝えていました。
平成13年には文部科学省の諮問機関である宗教法人審議会の委員に就任。宗教法人制度のあり方について宗教者の立場から積極的に発言しました。
今年3月、同教団では長男の清喜師が光嗣(次代教主)に推戴されました。

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庭野会長は9月25日午後、佳重夫人と共に、松緑神道大和山本部を弔問し、遺族に弔意を伝えました。松原通雄外務部長が同行しました。同教団本部を訪れた庭野会長は、「神集閣」で田澤師のご遺体と対面し、故人の冥福を心から祈りました。また応接室で、喪主である真佐子夫人、今年3月に光嗣(次代教主)に推戴された清喜師夫妻に弔意を伝えました。真佐子夫人は、「生前、会長先生はじめ立正佼成会の方々とご縁を頂き、幸せだったと思います」と述べました。
また、同26日午前9時から「神集閣」で執り行われた「密葬告別祭」には、本会から天谷教学委員長が参列しました。式典では、宗教界を代表して深田充啓・新宗連理事長が玉串を奉てんしました。

(2003.10.03記載)