News Archive

2004年05月13日 【庭野平和賞受賞記念講演】(抜粋) アチョリ宗教者平和創設委員会会長 ジョン・バプティスト・オダマ師

ウガンダ国民、特に北部の人々を代表し、この度の受賞を感謝の心でお受けいたします。

ウガンダ北部の長年にわたる紛争は、南北の境界線に大きく影響されています。と言いますのも、南部のルウェロ地域ではアチョリ人を後進性の権化とし、ルウェロ三角地帯でかつてUNLA(ウガンダ国民軍)が行った残虐行為の責任を負うものとみなしていたからです。つまり、彼らはアチョリ人たちをあたかもUNLAの兵士たちと同一人物であるかのように扱い、最悪の行為は常にアチョリ人の仕業としていたのです。

アフリカ、特に伝統的なアチョリの和解のプロセスについてお話したいと思います。

アチョリ人が属するルウォ族には、ラボンゴとギピルという兄弟の絶縁を物語る神話があります。この神話から、アチョリ人に息づいている五つの社会理念が生まれています。それは、(1)先に手を出してはいけない。(2)どんな種族に対しても、すべてのものに敬意を持つ。(3)常に真実を語る。(4)いかなる時も、たとえ首を切り落とされそうになっても決して嘘をついてはならない。嘘をつくよりも、真実のためにいのちを失う方が望ましい。(5)盗んではならない、ということです。

こうした社会理念に基づき、アチョリ人の間には死刑に値する犯罪がありません。伝統的に、いかなる犯罪者にも死刑判決が下されることなく、その代わりに赦免のための規定が設けられました。これが、犯罪者との難しい人間関係に対し、アチョリ人がとった人間的な対処方法でした。

もし、家族の一人が殺人を犯した場合、その人間の一族や部族全体が集団全体として罪を負いました。そして、加害者側が偽りのない懺悔と悔恨の思いを表明した時、被害者側は誠意を持って赦しました。

懺悔が真実かどうかは、加害者側がアチョリの文化伝統の中で要求される代償を支払う用意があり、その意志を持っていたか否かによって判断されました。代償の内容は故意による殺人でなかった場合、家畜10頭を差し出すというものです。こうした代償によって和解への道が開かれ、双方の距離を縮めることができたのです。

続いて、第三者の介在で加害者側と被害者側が集められ、「マト・オプト」と呼ばれる和解の儀式が行われます。儀式は、オプトという樹木の若い根から作ったジュースを双方が同じ瓢箪から飲むことと、祖先の霊と創造主が立ち会う前で食事を共にすることが特徴として挙げられます。

こうしたアチョリ人社会で古くから行われてきた慣習に象徴されるのは、どのような犯罪であっても集団としての責任と罪があり、その苦しみをも集団で背負わねばならないことです。これは、加害者とならないための抑止力となっていました。

私たちアフリカ人は、人類の一員であるというアイデンティティーを持っています。ですから、地球上の人間社会に与えられたすべての特権を享受する資格を持つと認識しているのです。

しかし、経済的利害や政治権力が引き起こす戦争、奴隷売買、そしてアフリカの人々に対する植民地支配は、この先もアフリカの国際関係につきまとうでしょう。だからこそ、アフリカを搾取する支配者と現地の人々との間に国際的な和解が必要とされるのです。

(2004.05.14記載)