ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(84)が、4月2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、バチカン(ローマ教皇庁)の居室で帰天されました。在位26年の間、戦争やテロ、抑圧などの不正義に一貫して反対の姿勢を示すと共に、諸宗教対話・協力による平和の実現に尽力するなど、開かれた教皇、行動する教皇として、世界に多大な影響を与え続けた宗教リーダーでした。訃報を受け、庭野日鑛会長は、哀悼のメッセージをバチカン諸宗教対話評議会のマイケル・フィッツジェラルド議長に宛てて送りました。メッセージの中で、庭野会長は、「教皇さまは、常に弱き者、助けを必要としている人々の近くにおられ、愛のまなざしを注ぎ続けてこられた。まさに神の分身ともいえるご生涯を貫かれた」と生前の功績を讃え、哀悼の意を表しました。
ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、1920年、ポーランド生まれ。1978年、第264代ローマ教皇に選出されました。455年ぶりのイタリア人以外の教皇でした。積極的に世界各地を訪れ、「空飛ぶ聖座」などと形容されていました。訪問国は100カ国を上回り、1981年の訪日では、東京、広島、長崎を訪れています。
在任中、教皇は、戦争やテロ、貧困、飢餓、安易な生命操作、人権抑圧などに警鐘を鳴らし、国際社会に多大な影響を与えました。一方、障害者や子供、女性など社会的に弱い立場にいる人々に手を差し伸べ、バチカンの国家元首、宗教指導者であると同時に、全世界のカトリック信徒から「パパ(父)」として敬愛されていました。
特に、諸宗教間対話・協力に関しては、歴代教皇の中でも、最も精力的かつ具体的に行動した教皇と言われました。プロテスタント諸派、東方正教会、ユダヤ教などとの対話促進に努めたことは、今後のカトリック教会の方向性を示すものとして注目を浴びました。
1986年、2002年には、教皇の呼びかけにより、イタリア・アッシジで「世界平和祈願の日」式典を開催。世界の諸宗教指導者が集った式典には、庭野会長が仏教徒代表として参加し、「共同声明文」を発表しました。
また教皇は、WCRP(世界宗教者平和会議)の世界大会に、WCRP4(第4回世界宗教者平和会議)以降、毎回バチカンの正式代表を派遣。1994年、バチカンで開催されたWCRP6の開会式には、教皇自ら出席し、ひな壇上の教皇玉座に庭野開祖と並んで着座しました。あいさつの中で教皇は、「WCRP1開催以降、常に多大なる関心を持って、諸宗教の方々の集う会議の内容を見守っていた」と期待を表明。庭野開祖も「この日の到来を長年願い続けてきた私にとって、これ以上の喜びはない」とあいさつしました。会場のシノドスホールは、全世界司教会議が開かれるバチカンの重要施設であり、現地マスコミは、「キリスト教ではない組織によって開催される会議にバチカンが門戸を開くのは史上初」と強調。教皇のWCRPへの関心の深さを象徴的に表す出来事と受け取られました。
1999年には、バチカンで「諸宗教者による対話と祈りの集い」も開催。教皇の招待を受けて出席した庭野会長は、2万人の参加者が見守る中、サンピエトロ寺院前広場の壇上中央に着座する教皇と同じ列に並び、式典を見守りました。
庭野日敬開祖、庭野会長が教皇に謁見したのは、延べ10回を超えます。教皇就任翌年の1979年、庭野開祖は、バチカンを訪れ、教皇に特別謁見。「仏の心も神の心も一つだと思います」と語りかける庭野開祖に、教皇も「私もそうだと思います」と応えました。庭野会長は1983年、バチカンで初めて特別謁見して以降、延べ8回教皇との出会いを重ねました。昨年4月、サンピエトロ寺院前広場でのミサで教皇にあいさつしたのが、最後の謁見となりました。
また本会の各使節団も長年にわたり、バチカンでの一般謁見に参列。宗教的交流を継続してきました。
弔意を表すメッセージの中で庭野会長は、教皇の功績を讃えると共に、バチカンでのWCRP4開会式、アッシジでの「世界平和祈願の日」式典など、教皇との出会いを振り返り、「ご高齢でありながら、決して衰えることのない情熱、深い祈りに触れ、宗教者の一人として襟を正される思いがした」と述懐。教皇の願いを継承し、諸宗教対話・協力による平和実現の推進を誓いました。
■哀悼のメッセージ
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下が帰天なされたとの報に接し、私は今、深い悲しみに包まれております。
謹んで哀悼の誠を捧げさせて頂きます。
平和な世界を実現するため、教皇さまが果たされてきた多大なご功績は、カトリック教会のみならず、他の宗教、そして全ての人々の灯火となってまいりました。教皇さまは、常に弱き者、助けを必要としている人々の近くにおられ、愛のまなざしを注ぎ続けてこられました。いのちの尊厳を第一にとらえられ、戦争やテロに対しては、一貫して反対の姿勢を示され、貧困や飢餓、不正義や搾取に対しましても、さまざまな手立てを講じてこられました。まさに神の分身ともいえるご生涯を貫かれたのであります。
改めて衷心より敬意を表する次第であります。
また教皇さまは、諸宗教対話・協力に対して、深い理解を示され、世界の諸宗教者との胸襟を開いた交流を重ねてこられました。WCRP6(第6回世界宗教者平和会議)の際には、バチカンの施設を開会式会場に提供され、席上親しくお言葉をくださいました。教皇さまと、私の父である庭野日敬開祖が、シノドス・ホールの壇上に並んで座られた光景が、今も瞼に焼きついております。
私は、これまでたびたび教皇さまにお目にかかる機会を頂戴し、1986年、2002年には、アッシジでの「平和祈願の日」式典にも参加させて頂きました。教皇さまの呼びかけで、世界の諸宗教指導者が一堂に会した集いは、平和の象徴そのものでした。ご高齢でありながら、決して衰えることのない情熱、深い祈りに触れ、宗教者の一人として襟を正される思いがしたものであります。
そして昨年4月、サンピエトロ寺院前広場のミサ会場で謁見させて頂いたのが、教皇さまとお会いした最後となりました。今、そのお姿を思い起こすたびに、胸が熱くなるのを覚えます。
教皇さまが帰天なされたことは、カトリック教会の信徒の方々にとりまして、親を失うにも等しいに違いありません。しかし、いまだ世界では、いのちの尊厳がないがしろにされる状況が続いております。教皇さまが常に願っておられた愛と一致の世界を、これからも世界の諸宗教者が手を携えて実現してまいらなければなりません。それぞれ宗教は異なりましても、目指す世界は、ただ一つと信じます。
今後も、教皇さまの願いを心に刻み、諸宗教対話・協力を通して、いのちが大事にされる世界の実現に向け、微力を尽くしていく決意でございます。
教皇さま、これまでのご教示、誠に有難うございました。
どうか、安らかにおやすみください。
合掌
世界宗教者平和会議日本委員会理事長
新日本宗教団体連合会理事長
立正佼成会会長
庭野 日鑛
(2005.04.04記載)