原爆投下、空襲、そして敗戦――。甚大な被害をもたらした第二次世界大戦から60年の節目を迎えました。今年も「過ちは二度と繰り返さない」との願いと決意を込め、各地で戦争犠牲者の慰霊、恒久平和を祈願する式典が執り行われました。原爆の被害により一瞬にして街が壊滅した広島と長崎、米軍との凄絶な地上戦が行われた沖縄では、宗教協力による法要、式典が営まれ、本会代表も参列。戦没者の冥福を祈ると共に世界平和実現に向け、誓いを新たにしました。
60回目の原爆忌を迎えた8月6日、広島平和記念公園内に建つ原爆供養塔前では広島戦災供養会主催の「原爆死没者慰霊式典」が行われ、秋葉忠利市長はじめ広島県宗教連盟に加盟する宗教者ら約500人が参列。本会からは中央学術研究所の今井克昌所長が出席しました。
式典では神社本庁、教派神道、キリスト教、仏教の儀礼儀式に沿い、それぞれの代表者が祈りを捧げました。
午前8時からは「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(市主催)が同公園で挙行。参列した今井所長は原爆投下時刻の午前8時15分、参集した約5万5000人と共に黙とうを捧げました。
一方、広島教会では同日、教会道場で「広島原爆殉難犠牲者慰霊法要」を行い、256人が参加。読経供養のあと、会員代表が被爆体験を語りました。北広島教会でも教会道場に約130人が参集し、「原爆慰霊供養式典」を実施。原爆投下時刻に黙とうを捧げたあと、読経供養が行われました。その後、各支部で包括地域の慰霊碑を参拝しました。
【長崎】
8月8日、長崎県宗教者懇話会主催の「被爆60周年第33回原爆殉難者慰霊祭」が長崎市の原爆落下中心地公園で行われ、宗教者や市民など約800人が参集、本会から山野井克典理事長はじめ長崎県下3教会の会員らが出席しました。
式典では、新宗連(新日本宗教団体連合会)長崎県協議会青年会による「平和の灯」のセレモニーに続き、同懇話会を代表し、大神照彦・鎮西大社諏訪神社宮司が、世界連邦日本宗教委員会から同最高顧問の出口紅・大本教主がそれぞれ「慰霊のことば」を述べました。また、今年はアメリカ・ハワイ州のダグラス・レンツ・アリゾナ記念館館長が来日し、「慰霊のことば」を述べました。
翌9日、長崎市の平和公園平和記念像前で長崎原爆殉難者慰霊奉賛会主催による「被爆60周年原爆犠牲者慰霊祭」が行われ、長崎県宗教者懇話会の聖職者らが参加、本会から山野井理事長が参列し献花を行いました。山野井理事長は、このあと同所で行われた長崎市主催の「被爆60周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に特別来賓として参列しました。
また、長崎教会道場では「原爆犠牲者慰霊供養」が行われ、会員約100人が参列。読経供養、体験説法に続き、山野井理事長が講話。戦争体験が風化する中で、戦争や原爆の悲惨さを語り継いでいくことが大切と強調しました。さらに、平和実現に向け、世界に視野を広げて考えることと共に、斉家に向けた実践の重要性を説きました。
【沖縄】
『沖縄から世界へひろげよう平和の祈り』をスローガンに沖縄宗教者の会(本会沖縄教会も加盟)主催による「第15回祈りと平和の集い」が8月15日、糸満市摩文仁の平和祈念堂で行われ、宗教者はじめ識者、市民ら800人が参加しました。本会から国富敬二理事が参列しました。
同集いは、沖縄戦はじめ全戦争犠牲者に慰霊の誠を捧げ、世界平和の実現を祈念することが目的。当日は、神社神道の儀礼儀式に沿った「平和の祈り」、小、中学生、高校生の代表10人による「誓いの言葉」に続いて、黙祷と献花が行われました。
このあと、遺伝子研究者の村上和雄・筑波大学名誉教授が『笑いや感動が可能性を引き出す』と題し講演。ストレスの少ない環境や苦難に直面した際の心の持ち方が、良い遺伝子の働きに作用することを紹介しました。また、遺伝子が人間の設計図であり、生命維持のために調和のとれた働きをしている事実に触れ、「神業としか言えないことが体の中では起こっているのです」といのちの神秘を強調しました。
(2005.08.19記載)
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