News Archive

2006年08月18日 第8回WCRP世界大会 メーンテーマと討議の論点――眞田芳憲・WCRP日本委員会平和研究所所長に聞く

8月26日から29日まで国立京都国際会館を会場に開催される第8回WCRP(世界宗教者平和会議)世界大会では、『平和のために集う諸宗教――あらゆる暴力をのり超え、共にすべてのいのちを守るために』をメーンテーマに世界の宗教者が平和への道を模索します。特に全体会議や研究部会では「紛争解決」「平和構築」「持続可能な開発」を3本柱に具体的な討議が重ねられる予定です。大会テーマに込められた意味や討議の論点について、眞田芳憲・WCRP日本委員会平和研究所所長に語ってもらいました。

【大会テーマ『平和のために集う諸宗教――あらゆる暴力をのり超え、共にすべてのいのちを守るために』】
WCRP世界大会の歴史の中で、今回初めて「暴力」と「いのち」が大会テーマに取り上げられました。これは大変意義深いと思います。暴力とは何か、そして、すべてのいのちが守られる世界をどう一緒につくっていくのか。そうした最も根源的なところから考えたいという願いが大会テーマに込められていると思います。
暴力は形に表れるものばかりではありません。形に表れないさまざまな暴力も存在します。すべての暴力の根源にあるのは、無関心や言葉の暴力といった無形の暴力であり、そうした暴力がついには戦争にまで発展してしまうのです。
  暴力の奥底にあるのは、相手を理解しようとしない、自分が常に正義であるという思い上がりです。それは、仏教的に見れば、貪・瞋・痴そのものです。ですから、暴力は夫婦や親子といった身近な関係でも起こり得るのです。世界平和に向けて、まず宗教者自身が自分の心のあり方を見つめることから出発しなければいけないのではないでしょうか。
1970年に開催された第1回WCRP世界大会の京都宣言にこんな一節があります。
『我々はしばしば、我らの宗教的理想と平和への責任とに背いてきたことを、宗教者として謙虚にそして懺悔の思いをもって告白する。平和への大義に背いてきたのは、宗教ではなく、宗教者である。宗教に対するこの背反は、改めることができるし、また改められなければならない』
世界平和は私たち一人ひとりの内なる平和から始まるのです。そのことを認識しなければ、世界大会での議論は足元の実践につながらないのではないかと思います。
すべてのいのちが守られるような安全保障を考える場合、ハードパワーとソフトパワーという二つの考え方があります。ハードパワーは国家などの組織が力によって、また、ソフトパワーは、お互いに理解を深め信頼を醸成し合うことによってそれぞれ安全保障を確立しようというものです。
宗教者としてはやはりソフトパワーによる安全保障を目指すべきですが、現実のさまざまな紛争をソフトパワーだけで解決できるのか、という非常に厳しい課題を同時に背負わされていることも認識しなければいけないと思います。
今回の世界大会には宗教者のみならず、NGO(非政府機関)の方々も多数参加します。平和は宗教者だけで実現できるものではありません。宗教者が政界、経済界、教育界などさまざまな分野の方々と対話を重ね、お互いに力を合わせて平和を考えていくことが重要ではないでしょうか。

【「紛争解決」――研究部会テーマ(1)紛争予防(2)紛争調停と交渉(3)和解と癒し】
宗教ネットワークを使い、どのような紛争予防が可能であるか、また、紛争に対して具体的にどう調停、交渉をするのか、そして、和解後の社会再建をどのように進めるのか。紛争解決に関しては、この3点が大きな論点になります。
現代の武力紛争の多くは、共同体アイデンティティーの対立から生じていると言われます。アイデンティティーに基づく紛争は、多くの場合内戦という形をとります。その結果、多数の市民が犠牲となるのです。ですから、このアイデンティティーによる争いをどう解決するかが重要なカギだと言えるでしょう。
アイデンティティーは民族、宗教、個人の存在意義と密接に関係しています。それらの問題にかかわる宗教者は、紛争を解決する上で大きな力を持つのです。
現在、約60億の世界人口のうち約50億人が何らかの宗教コミュニティーに属していると言われます。また、世界で紛争に巻き込まれている2700万人のうち、2500万人が宗教コミュニティーに属しています。その意味でも、宗教コミュニティーの指導者の役割は実に大きいと言えると思います。
特にイスラーム世界では宗教の影響が強く、ウンマと呼ばれる宗教共同体が人々にとって国家以上に頼みの綱となっています。モスクを中心に密接なネットワークができているのです。それは人々による助け合いの場でもあります。イラクの問題でもそうですが、そのような社会では、紛争解決も社会再建も宗教者でなければできないと言っても過言ではないのです。

【「平和構築」――研究部会テーマ(1)武器拡散、軍縮・安全保障(2)暫定的公正と人権(3)平和教育】
武器拡散や軍縮の問題は経済界とも深くもかかわっています。武器輸出に対する強い要望が経済界にあるからです。宗教者が非武装に向けた努力を続けると同時に、経済界との対話も必要です。
人権の問題も重要です。人間の尊厳を実現する手段が人権だからです。人権は権利を求めるだけでなく、人間としての責任、義務をどう果たすかということにも関係します。人間の価値は神仏との関係においてどう生きるかによって決まるという考えもあります。自由と責任、権利と義務というバランスが大事なのだと思います。
平和教育に関しては、『懺悔文』に「無始の貪・瞋・痴」とあるように、人間の貪・瞋・痴は永遠の過去からDNAに植えつけられています。ですから、平和教育なしには永遠に戦争がなくなることはありません。胎児教育や家庭教育に始まり、人生のあらゆる教育の中で平和の文化、特に「おかげさま」の心を育むことが肝要です。
自分と相手を分ける二元論では決して平和は訪れません。二元論は排除の論理でもあります。人間はひとつととらえることから調和は生まれます。それはまさに仏教の教えであり、今、最も必要とされているものだと思います。

【「持続可能な開発」――研究部会テーマ(1)子供とエイズ(2)貧困撲滅(3)環境】
現在、中国やインドなどでの開発は著しいものがあります。今後、第三世界の人々が先進国と同じような生活をするようになると、環境破壊が爆発的に進む可能性があります。国際的な世論をまとめ、これ以上の環境破壊を阻止することが大事です。
環境問題の解決は、国家レベルの政治指導者では限界があります。目先の現実的な問題の解決や、国益を守らねばならないといったことがあるからです。その点、長期的な展望に立ち、国境を越えた人類・世界の運命を考える宗教者には大きな役割があります。世界大会では、宗教者が環境問題を真剣に議論し、具体的なプロジェクトを策定して頂けるよう期待しています。
環境問題を考えることは、自然、動物、植物といったすべてのいのちを大切にすることでもあります。それは、少欲知足の精神、そして、貧困をいかに解決するかということにもつながると思います。
子供と家族の問題も大切です。家族は最も基本的なコミュニティーでもあります。コミュニティーの語源はラテン語の「コムムヌス」に由来すると言われています。コムは「共に」、ムヌスは「責任、義務」「愛情」「贈り物」などの意味です。家庭であれ、学校であれ、教会その他の共同体であれ、人々の言葉や行為や態度が、本当に相手の望むような物として互いに交換し合う場となっているかどうか、いま一度見つめ直す必要があります。真の意味の家庭をつくる努力が今、求められており、そこに宗教者の役割も期待されると思います。家庭のあり方はまさに足元の問題だと言えるでしょう。

【大会への期待】
今回の世界大会は36年前の京都大会とは随分事情が違います。参加国、参加人数ともに大幅に増え、国内委員会の数も飛躍的に伸びました。さらに今回は、宗教者のみならず、NGO関係者も多数参加します。そういう意味で今回の大会はWCRPの新しい出発、再生と言ってもいいのではないでしょうか。WCRPの原点、創設者たちの願いをかみしめるだけでなく、それらを発展させ、現実の問題に対して宗教者がどう対応していくかが問われています。
また、今回は大会事後プログラムとして国内3カ所でWCRP日本委員会主催による世界大会報告平和集会が開催されるほか、各地で自主的な報告会や集会などが予定されています。ポストコングレスと呼ばれるこれら一連の催しには、WCRP平和研究所もかかわらせて頂くことになっています。催しが大会の単なる報告会に終わることなく、それぞれの地域にとって大会の開催がどのような意味を持つのかを語り合って頂ければありがたいと願っております。
催しには、各地の宗教者のほか、地域の明るい社会づくり運動に携わっているさまざまな人たちが参加します。世界の場で話し合われたものを草の根まで下ろす役割はとても大切です。平和の実現に向けてさまざまな立場の人が協力し合い、有効な役割を果たして頂ければありがたいと願っております。

(2006.08.18記載)