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2006年08月21日 初の「WCRP青年世界大会」広島で開幕

第8回WCRP(世界宗教者平和会議)世界大会に先立ち、初の「WCRP青年世界大会」が8月21日夜、広島で開幕しました。大会テーマは『平和のために集う青年宗教者――あらゆる暴力をのり超え、共にすべてのいのちを守るために』。広島国際会議場で行われた開会式には正式代表をはじめオブザーバー、一般市民を含む1839人が参加。庭野日鑛WCRP日本委員会理事長、ウィリアム・ベンドレイWCRP国際委員会事務総長が出席しました。

「青年世界大会」は8月21日から25日までの5日間、広島と京都で開催されます。広島では21日の開会式に続き、大会テーマのもと、全体会議、グループセッションなどを実施。最終日となる25日には、世界大会の開催される国立京都国際会館に会場を移し、「大会宣言・行動計画」を採択します。
広島を開催地に選定した理由について、WCRP国際青年委員会(IYC)は、「広島は人類史上最大級の暴力が行われた場所。青年宗教者として、暴力について議論を行う前に、まず原子爆弾という暴力について真剣に学習し、平和記念公園内の慰霊碑の『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』という碑文を胸に刻むことから始めたい」と説明。平和記念資料館などを見学する平和学習や、平和祈念祭の実施も、大会の重要なプログラムと位置付けています。
またIYCは、初の「青年世界大会」開催にあたり、昨年7月からアジア、北米、南米、日本、アフリカ、中央・東欧州、中東、西欧州、イスラエル・パレスチナの9カ所で「青年事前会議」を実施してきました。会議には延べ80カ国から宗教宗派、グループなどを代表する青年宗教指導者ら860人が参加。それぞれの地域、国が抱える紛争や貧困、環境破壊など諸問題を抽出し、その改善、解決に向けた青年宗教者の役割などについて議論を行いました。今大会の正式代表は各地の「事前会議」で選出されたメンバーであり、その討議内容と世界的な青年宗教者のネットワーク構築に向けた動きに、大きな期待が寄せられています。
21日夜、広島国際会議場で行われた開会式には、正式代表のほかオブザーバー、一般市民ら1839人が参加しました。「事前会議」の様子がVTRで上映され、今大会までの道のりを振り返ったあと、ジアド・ムーサIYC委員長の呼びかけのもと、参加者全員で「平和の祈り」を捧げました。
続いて、庭野日鑛WCRP日本委員会理事長があいさつに立ちました。庭野理事長は、すべての人の救いを目指すことが宗教を持つ者の「大志」であると述べたあと、大会に集った青年宗教者に対し、「どうか胸を張って理想を追求してください。そして、純粋で行動的な青年期の特質を生かし、WCRP全体に新風を注ぎ込んでください」と語り、期待を寄せました。
ウィリアム・ベンドレイ同国際委員会事務総長はスピーチの中で、さまざまな暴力が顕在する世界の現状を憂い、青年宗教者の協働の必要性を強調。自らの宗教に対して真摯に生きること、他者に対して正直であることの大切さを述べました。
最後に、シエラレオネ出身で、現在はユニセフ親善大使を務めるイスマエル・ベアさんが登壇。内戦で家族を失い、自らも少年兵となった体験などを語り、「極端な暴力が起こることによって、すべてのものが崩壊してしまうのです」と発表しました。さらに、HIV(エイズウイルス)や貧困、難民や児童労働の問題など、さまざまな「暴力」に目を向け、行動を起こしていく重要性を参加者に呼びかけました。

WCRP青年世界大会開会式あいさつ 庭野日鑛WCRP日本委員会理事長

皆さま、ようこそ広島においでくださいました。WCRP日本委員会を代表し、歓迎の意を表したいと思います。
ここ広島国際会議場に集う青年宗教者の皆さまは、第8回WCRP世界大会に向け、これまで世界9カ所で「事前会議」を重ねてこられました。また本日は、WCRPの歴史上初めてともいえる「青年世界大会」を開き、その成果を京都で開かれる本大会に反映させようと、熱意をもって取り組んでおられます。率直に申し上げて、私は、今回の世界大会に最も主体的・積極的に関わろうとしているのは、青年宗教者の皆さまではないか、と感じております。その意味で私は、皆さまに深く敬意を表するものであります。
皆さまのような世代、いわゆる青年期は、とかく大人になる準備期間であると受け取られがちであります。青年は不完全だから、今のうちに経験を積み、学び、そこで蓄えた力を大人になった時に発揮するのだと普通には考えているのです。
しかし、青年期には、その独特のいのちの輝きがあります。青年期でなければできないことはたくさんあります。つまり、大人になるという目的のための手段・方法として現在を考えるのではないということであります。皆さまの現在は、本来、目的そのものです。だからこそ、そこに心血を注いで生きる。いまを本番として生きる。そのことが最も大事であると思います。
いま、皆さまのお顔を拝見しておりますと、そうしたことは、すでに十分お分かりのように見受けられ、大変心強く思います。
さて、日本の代表の皆さまはご存知と思いますが、札幌農学校での人材育成に尽力したウイリアム・スミス・クラーク博士は、次のような有名な言葉を残されています。「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ大志を抱け)」というものであります。これは教え子の学生に向けた言葉ですから、青年全体へのメッセージといえます。
この「大志」とは、一体どのようなものなのでしょうか。世間一般の青年ならば、お金をたくさん稼ぎたいという人もいると思います。地位や権力を手に入れたいという人もいることでしょう。もちろん真面目な目標を持ち、それに向かって全力を尽くしている青年も大勢おります。
では、宗教青年にとっての「大志」とは、どうあるべきなのでしょうか。私は、こう思っております。「一切衆生を救う」という誓願こそ、宗教を持つ者の「大志」ではないか、と。「一切衆生」とは、国や民族、文化や風習、性別や年齢の違いを超え、すべての人の救いを目指すということです。皆さまは、それぞれ異なる信仰をお持ちです。しかし、その教えを徹底して掘り下げていくならば、必ず「すべての人を救う」という共通の願い、「大志」に行き着くと信ずるのであります。
宗教青年は、こうしたいわば理想を肝に銘じて生きることが大事であると思います。
盤珪という日本の名僧の作と伝えられる歌があります。
『生まれ子の 次第次第に 知恵づきて 仏に遠く なるぞ悲しき』
大人の施す教育は、青少年の人間性を欠くような知恵のつけ方をしてしまっている、神や仏の心から遠ざけてしまっているという意味合いです。信仰のあるなしにかかわらず、若い頃は、皆、純粋に理想を追い求めるものです。ところが、年齢を加え、さまざまな人と出会い、世の中の利害にもまれていくうちに、段々と理想を離れ、現実的、対立的な見方をするようになります。そうなることが、あたかも「大人になる」ことのように錯覚してしまうのです。
例えば「みんなが幸せになって欲しい」という願いは、ほとんどの人が心の奥底に宿しているものです。「いのちを殺めてはいけない」という戒めも、多くの人がすでに分かっているのです。誰もが幸せになりたいし、人にも幸せになって欲しいと願っております。誰もが殺されたくはないし、人を殺したくはない。にもかかわらず、61年前、ここ広島で何が起きたのでしょうか。
明日の午後、皆さまは、平和記念資料館、平和記念公園を見学され、その現実を目の当たりにすると思います。一個の原爆によって広島では、約14万人の尊いいのちが失われました。また原爆の後遺症などを含めますと、これまでに亡くなった方は24万7000人に及びます。いつの間にか、人間本来の心がないがしろにされ、対立的な見方になってしまった悲劇的な結果といえましょう。
理想と現実を使い分けるのが大人の判断だとするならば、皆さまには、いつまでも精神的に青年のままでいて欲しいと思います。どうか胸を張って理想を追求してください。そして、純粋で行動的な青年期の特質を生かし、WCRP全体に新風を注ぎ込んでください。その新たな出発点が、この「青年世界大会」ではないかと思います。
5日間にわたる「青年世界大会」が、実りあるものになることを祈念し、また皆さまがそれぞれの国で一層ご活躍されることを念願し、挨拶と致します。
皆さま、また京都での本大会でお会いしましょう。
ありがとうございました。

(2006.08.25記載)