(写真=同キャンペーン提供)
イスラエル軍とレバノンの武装組織ヒズボラとの33日間にわたる戦闘が昨年8月に停止してからまもなく半年が経ちます。立正佼成会一食平和基金が緊急支援を行った「パレスチナ子どものキャンペーン」(東京・目白)は戦闘が始まった直後から現地のNGO(非政府機関)と連携して支援活動を行っています。昨年末には、日本からスタッフを現地に派遣、停戦後のレバノンの現状を把握するとともに、支援先のプロジェクトを視察しました。
パレスチナ子どものキャンペーンはレバノン国内の11の難民キャンプを支援しています。戦闘中、キャンプには5013世帯のレバノン市民が避難してきました。同キャンペーンと協力関係にあるNGO「子どもの家」では、従来のパレスチナ難民支援に加えて避難してきた市民への緊急支援を開始。家族構成や健康状態などの調査をした上で、食糧や医薬品、現金や寝具などを配布しました。爆撃された地域に近い難民キャンプでは、臨時のクリニックセンターを開設し、負傷者などの手当てを行いました。一方、爆撃の恐怖を味わった子供たちの心のケアとともに、ミルクの提供や絵画のプログラムなどを行っています。
こうしたプロジェクトの視察と現状把握のため、同キャンペーンは昨年末に中村哲也スタッフら3人を現地に派遣。一行は、最も爆撃の被害が大きかった首都ベイルート南部のハルト・フレーク地区、レバノン南部のカナ村などを訪れました。中村スタッフによると、ハルト・フレーク地区は一面に瓦礫が広がっていて、撤去作業が進まない状態だといいます。寸断された橋や道路は補修され、かろうじて通行できるようになりました。昨年7月30日にシェルターに避難していた50人の子供たちが爆撃の被害に遭ったカナ村では、共同墓地の建設が進められていました。
中村スタッフは今後の課題として「不発弾による被害」を懸念。「不発弾によって亡くなった方もいます。また、パレスチナ難民の70~80%が日雇いでの農作業に従事していたため、このままでは失業者が増えるばかり」と語っています。一方、難民キャンプでは、ボランティアが戦闘開始から休みなく支援活動にあたりました。国際社会からの支援が行き届かなかったため、スタッフが支援物資を現地調達し、パレスチナ難民とレバノン人の双方にサービスを行ってきました。中村スタッフの報告では共に食卓を囲む中で、これまで緊張感のあった双方の交流も生まれているといいます。
田中好子事務局長は「レバノン市民が避難してきた難民キャンプも決して安全ではない状態。いつ爆弾が落ちるかもしれない中で、スタッフやボランティアたちが孤立感を感じながらも命がけで支援活動にあたったことは私たちの誇りです。今後も不安定な状態は続くのでパレスチナ難民、レバノン人双方の支援を継続していきたい」と語っています。
(2007.01.26記載)
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