3月23日から4月3日まで「ゆめポッケ親子ボランティア隊」(隊長=金田充弘秋田教会長)が実施されました。会員代表10組の親子が参加した同隊は、アゼルバイジャンにある難民センターや難民、国内避難民の学校など計8施設でポッケを配布。チェチェン難民をはじめイランやアフガニスタンなどから家族と共に逃れてきた子供たちにポッケを手渡し、交流を深めました。活動の様子を紹介します。
3月24日深夜、一行は英国ロンドンを経由し、カスピ海の西岸に位置するアゼルバイジャンの首都バクーに到着した。
現在アゼルバイジャンには、約1万5000人もの難民が暮らしていると言われる。ロシアとの争いよって土地を追われた5000人のチェチェン人、宗教、民族紛争などによって国を逃れてきたイランやイラク、アフガニスタンなど近隣諸国からの難民だ。また、アゼルバイジャン国内のナゴルノ・カラバフ自治州で発生したエリトリア人との民族紛争によって故郷を追われた多数の国内避難民が、バクー市近郊で生活している。
現地での活動初日となった25日、一行は、今回のボランティア隊の配布活動をサポートする現地NGO(非政府機関)「ハイヤット」の事務所を訪れた。
難民や国内避難民の現状、ハイヤットが取り組む教育や医療支援活動の説明を受ける中で、スタッフが隊員に質問した。「自分の欲しい物を我慢して貯めたお金で、ポッケの中に詰める文房具やおもちゃを買うというのは本当ですか?」。金田隊長は隊員を代表して「それは本当です」と答え、「一食を捧げる運動」の意義を説明した。
一行は翌26日から4日間にわたって難民センターや難民、国内避難民の学校を訪れ、配布活動を展開した。訪問先では、子供たちが手を振り、隊員たちを迎えた。学校関係者によると、子供たちはポッケが手渡されるこの日を心待ちにしていたのだという。
「パジャールスタ(どうぞ)!」。隊員たちは、相手の目線の高さに合わせ、時にはしゃがみこんで一人ひとりにポッケを手渡した。「ポッケを受け取った子供たちが、うれしそうに腕にかかえこんでてくれて、私もうれしかった」と、参加者の一人は語った。
計8カ所での配布活動のほか、一行は4組に分かれ、難民宅を訪問した。
6畳にも満たないほどの小さな部屋に、母と娘2人の家族3人が暮らしていた。中は薄暗く、家具と呼べるものはシングルベッドとテーブル、扉の壊れたたんすがあるだけだった。チェチェンから逃れてきたこの家族は現在、難民に毎月支給される援助金だけで生活しているという。母親が月に一度、5時間かけて並び、75ドル(約9000円)の援助金を受け取る。そのうち60ドルが家賃として差し引かれ、残った15ドルだけで一家3人が一カ月を暮らすというのが現状だ。到底、満足に食事ができるはずもなく、切れた電球も交換できないままだという。
突然訪問した隊員をおびえた目で見つめる2歳の妹と差し出されたポッケをなかなか受け取ろうとしない6歳の姉。2人の姿に家族が直面してきた現実の重さを教えた。「詳しい話は聞けませんでしたが、あの家族は本当に大変な思いをしてきたのだと感じました。子供たちは、私たちをどこか疑っているような気さえしました」と、ある母親の参加者は感想を漏らした。その子供は、「最後にはポッケに入っていたおもちゃで遊んでくれて、うれしかった。相手の子が喜んでくれたので、小さいころからポッケを作ってきて良かったと実感しました」と喜びを語った。
ポッケの配布を終え、一行はハイヤットのスタッフとの夕食会に臨んだ。その席で、ポッケを受け取った子供からの感謝の手紙が紹介された。
「ポッケを見つめていると、うれしくて眠ることができません。ありがとう」
一人の子供にとって、たった一つのかけがえのないポッケ。会員の真心が届いたことを証明するのに、十分なメッセージだった。
(2007.04.20記載)
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