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2009年04月15日 庭野平和財団主催「水俣現地学習会」

庭野平和財団主催による「水俣現地学習会」が4月15日から17日まで行われ、15人が熊本・水俣市を訪れました。立正佼成会からは篠崎友伸中央学術研究所所長はじめ役職者4人が参加しました。

同財団は2年前から、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)といった経済発展の指標ではなく、幸福度によって豊かさを計るGNH(国民総幸福量)に関するシンポジウムを開催。豊かさの意味合いを考える機会を提供してきました。
今回の学習会はこの一環です。水俣病の発生と以後の住民間の対立や分裂を乗り越え、同市が環境モデル都市として再生を果たした歩み、また地元の自然、文化に着目し、住民の自信や誇りにつなげている取り組みを学ぼうと実施されました。
一行は15日、胎児性水俣病患者の生活を支援する小規模多機能事業所「ほっとはうす」を訪問。加藤タケ子施設長から、母親の胎内で有機水銀汚染の被害を受け、困難な人生を歩んできた胎児性水俣病患者の状況について説明を受けました。
また、5人の胎児性水俣病患者と面会。患者たちは子供の頃から親元を離れて病院で暮らさなければならなかった悲しみや50代を迎えて健康状態が悪化する現状、一方で人生の喜びや現在の願いなどを語りました。
このあと、高濃度の水銀汚染地域を埋め立てたエコパーク水俣、チッソ株式会社が有機水銀を垂れ流した百間排水口を見学。水俣病歴史考証館を訪れ、公害発生の史実、国や県が経済を優先して適切な対応を取らなかったために被害が拡大した経緯などを学びました。
16日には葛彩館で、地域の再生を図る「地元学」の提唱者で、水俣の再生に尽くす吉本哲郎氏が講演。水俣病の被害と、住民の対立で疲弊した1990年代までの水俣の歩みを説明しました。また、この間、水俣病患者と出会い、いじめにあっても父親の「人様は変えられないから自分が変わる」という言葉を胸に生きた人間性に影響を受けて地元学が生まれた背景を紹介しました。
「水俣も、世間は変えられないから、水俣が変わる。その中に、みんなで足元を調べて、良さを発見する地元学があった」と強調。「無いものねだりをせずに、地域の自然や文化、暮らしの中にある良さに気づき、あるものとあるものを組み合わせて新しいものをつくる取り組みが大切」と語り、元気を取り戻している各地域の事例を報告しました。
午後からは、地元学の実践例を学ぶために、山間の大川地区を訪問。住民が進める「村まるごと生活博物館」の取り組みを見学しました。
17日には福田農場で吉井正澄元市長の講演を実施しました。吉井氏は94年から2002年まで市長を務め、水俣病患者や患者団体に、市、県、国の対策が間違っていたことを謝罪し、公害発生から40年を経て政治決着を実現。「もやい直し」を合言葉に住民間の対立や分裂の修復に努めました。
講演では、水俣病患者に貧困や孤立といった被害を与えた市や市民の道義上の責任を認め、謝罪することから社会の再生を始めたことを述懐。水俣病を教訓に先進的なゴミ分別収集などを市民と共に進め、「環境モデル都市」となるまでの取り組みを紹介しました。加えて、「村まるごと生活博物館」などの事業に触れ、「経済一辺倒の考えから水俣病が発生しました。そのことを踏まえ、真の豊かさの答えが出せる水俣にしていきたい」と語りました。

(2009.4.24記載)