本会は4月23日、渡邊恭位理事長名による『臓器移植法改正案に対する重ねての提言』を発表しました。WHO(世界保健機関)が今年5月、海外渡航による臓器移植について規制強化を図る見通しとなり、4月から国会で改正の動きが強まったことを受けてのものです。現在、国会には3つの改正案が継続審議となっており、与党は今国会での改正を目指すと報じられています。28日、中山惠市総務局外務グループ次長が衆参両院の議院会館を訪れ、田村憲久・衆院厚生労働委員長、辻泰弘・参院同委員長に提出するとともに、各国会議員に届けました。これに先立つ同23日には中山次長が民主党議員に、27日には川端健之総務局長が細田博之幹事長ら自民党幹部に対して『提言』を提出しました。
平成9年に成立した臓器移植法では、人間の死は従来通り、三徴候(心臓の鼓動と呼吸が停止し、瞳孔が開く)によって判断されるものであり、移植の場合のみ脳死を人の死と認め、本人の提供意思の表示と遺族の同意を条件に臓器移植を可能としました。「移植に限り、脳死は人の死」「本人の意思の尊重」は、臓器移植法案が同6年4月に初めて国会に提出されて以来、さまざまな国民的議論と度重なる法案修正を経て決定された基本理念とされてきました。
現在、国会には議員立法として3改正案が提出されています。中山太郎衆院議員ら自民党有志議員が提出した案は、脳死を一律に人の死とし、本人の拒否の表明がない場合は家族の同意だけで臓器の提供を可能とするもの(A案)。斉藤鉄夫衆院議員(公明党)からの案は現行法の枠組みを維持したまま、提供の意思表示ができる年齢を現行の15歳以上から12歳に引き下げる内容となっている(B案)。阿部知子衆院議員ら社民、民主両党の有志議員による案は、脳死判定の厳格化を図り、生体間移植にも規制を盛り込んだ(C案)。
3改正案は19年12月から継続審議となっているが、ほとんど議論されないままでした。しかし、WHO(世界保健機関)が2009年5月の総会で、海外渡航による臓器移植の原則禁止を定めたガイドラインを決議する見通しが強まり、4月上旬から改正の動きが加速。加えて、現在、衆院の厚生労働委員を務める自民、民主両党の議員によって、親族の同意と第三者機関の確認を条件に15歳未満の臓器提供を可能とする新案の提出が検討されています。
本会は現行法の施行後、17年に山野井克典理事長(当時)名による『臓器移植法改正案に対する提言』を発表し、自民党「脳死・生命倫理及び臓器移植調査会」の佐藤泰三会長、民主党の仙谷由人政策調査会長に提出しました。
今回の渡邊恭位理事長名による『提言』では、現行法成立までの議論と基本理念を踏まえ、A、B両案が「現行法の規制を緩め、臓器提供の機会拡大を狙い」としていると指摘。A案に対しては、これまでの議論を軽視し、基本理念を覆す内容だとして問題点を明らかにしました。B案については、提供年齢を12歳以上とする法的根拠が乏しく、安易な改定に懸念を表明した。一方、C案に対しては、生体間移植に関する法の不備に対して規制を盛り込んだ点を評価しました。
その上で、「脳死・臓器移植は、一人の人間の死を前提として他の人の疾病を治療するという特殊な医療行為」であり、「ドナー(臓器提供者)本人の基本的人権や自己決定権は慎重に配慮されねばなりません」と指摘。生命の尊厳を擁護する立場から「脳死を一律に人の死としないこと」「本人の提供意思の確認」の「十五歳未満の者の意思表示」など8項目の提言を示し、慎重かつ厳正な国会審議を求めています。
28日、田村憲久衆院厚生労働委員長との会見では、中山次長が『提言』を手渡すとともに、脳死と判定された後も長期生存しているケースがいくつも報告されていることを挙げ、国民的議論を経ないまま、拙速な改定を行わないよう要望。これに対して、田村委員長は各人の死生観にかかわる重要な問題との認識を示す一方、「立法府の不作為とならないよう議論は進めなければならない」と述べました。
このあと、参議院会館で辻泰弘参院厚生労働委員長と会見。中山次長が本会の『提言』の趣旨を説明したのに対して、辻委員長は「良識の府」とされる参議院の役割を踏まえ、議論を重ねていく意向を表しました。
また、これに先立つ23日には民主党「宗教と政治を考える会」に講師として招かれた中山次長が本会の「政治への取り組み」、基本姿勢「五項目」に触れ、今回の『提言』を説明。27日には自民党の政治学習会の席上、川端局長が細田博之幹事長に『提言』を手渡し、趣旨に理解を求めました。
【臓器移植法改正案に対する重ねての提言】
はじめに
このたび2007年12月以来継続審議になっている「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)改正案(A案、B案、C案)が近々の国会で採決される方向で検討に入ったと聞いております。
A案(中山太郎議員らによる)は、「脳死を一律に人の死とし、家族が同意すれば本人の意思が不明でも臓器提供を可能」「年齢制限なし」とする案、B案(斉藤鉄夫議員らによる)は、現行の臓器移植法の枠組みのまま「提供可能な年齢を15歳以上から12歳以上」に引き下げる案です。いずれも現行法の規制を緩め、臓器提供の機会拡大を狙いとしています。一方、C案(阿部知子議員らによる)は、主に「脳死をより厳密に定義すると共に生体間移植の規制強化」に焦点をあてたものです。
私たちは、これまでに平成3年12月に「臨時脳死及び臓器移植調査会」永井道雄会長あてに「脳死・臓器移植問題に関する意見書」を提出、平成6年6月に「臓器の移植に関する法律案」に対する見解書を国会議員およびマスコミ関係者に送り、平成17年3月に「自由民主党脳死・生命倫理及び臓器移植調査会」佐藤泰三会長および民主党の仙谷由人・政策調査会長に「臓器移植法改正案に対する提言」を提出してきました。
わが国においては、「人の死」は従来から心拍停止・呼吸停止・瞳孔散大の三徴候をもって判断されており、「脳死を人の死」とする社会的合意は得られていません。平成9年施行の現行法は、死生観や立場を異にする各界の間で多くの議論を積み重ね、脳死を一律に「人の死」とすることなく、「臓器提供する場合に限り、脳死を人の死」と規定するほか、「本人の意思の尊重」を基本的理念として制定されました。
継続審議案の「脳死を一律に人の死とし、家族の同意だけで臓器提供ができる」とするA案は、現行法の制定にあたって積み重ねられた各界の議論を根本から覆すものです。B案については、年齢緩和の法的根拠が乏しいことに杞憂(きゆう)を感じます。
また、生体からの臓器の摘出及び移植について言及した点ではC案は、A案・B案に比べ現行法の不備を指摘した改正案として評価できます。
しかし、脳死・臓器移植は、一人の人間の死を前提として他の人の疾病を治療するという特殊な医療行為です。ドナー本人の基本的人権や自己決定権は慎重に配慮されねばなりません。
私たちは、宗教者として、すべての生命の神聖性を畏敬(いけい)し、生命の尊厳を擁護する立場から、今国会で審議される臓器移植法改正案に対して、下記のとおり再度提言すると共に、国民各界各層による幅広い意見をもとに、慎重かつ厳正な国会審議が行なわれるよう強く望みます。
記
一、脳死と「人の死」
脳死を一律に「人の死」とすることは出来ない。たとえ脳死の状態であっても、心臓が動き、血液が循環し、代謝が行なわれ、免疫機能が残っている温かい人間の身体を死体とは認めがたい。脳及び心臓の機能と有機的統合体としての個体生命のあり方を考えるとき、脳死は「人の死」そのものではなく、死への進行過程であると認識すべきである。
生命個体としての人間の死は、従来どおり、心拍停止・呼吸停止・瞳孔散大の三徴候をもってみるのが、最適と考える。
臓器移植の場合は、ドナー本人の意思を尊重し、各人の死生観にゆだねる。
二、本人の提供意思の確認
現行法は、「本人の意思尊重」を基本的理念に掲げている。脳死と判定された人体からの臓器移植は、本人の任意による提供の意思を尊重して法的に容認された医療行為であるから、本人の提供意思を必須条件とする。
臓器提供に関する本人の意思には、承諾・拒否・判断保留(不明)の三つの選択肢が考えられる。また人には意思表示しない権利もある。
本人の意思表示がない場合及び不明の場合は、従来どおり、臓器摘出はできないものとする。
三、十五歳未満の者の意思表示
十五歳未満の者の意思表示については、親権者の承諾を含めて、適切な法的措置を講ずる。六歳未満の者については、臓器摘出の対象から除く。
四、脳死判定
脳死判定は、従来どおり、本人の書面による意思表示及び家族承諾を必要とする。
五、生体等からの臓器の摘出、移植、その他
C案に述べられた「生体からの臓器の摘出及び当該臓器の移植」「研究目的への転用」等は、現行法ではほとんど規制されていない。医療の倫理と公正にとって緊急の課題であり、法的規制の制定及び強化が早急に望まれる。
六、移植医療に関する啓発及び知識の普及
移植医療に関する啓発及び知識の普及については、人道的・文化的・社会的見地から、各界の合意を得て適切に推進されるべきである。
七、医の倫理と総合的な医療福祉対策
医療の仁術としての倫理観と信頼の回復を基調とした全人的な医学教育の充実、臓器移植に代わる医術の研究開発など、文化福祉国家に相応(ふさわ)しい総合的な医療福祉対策が推進されなければならない。
八、国民的理解と協力
「臨時脳死及び臓器移植調査会」及び現行法制定過程において見られた多様な見解、意見の相違は現在でも埋まっていない。脳死を人の死とすることにしても国民のコンセンサスが得られているとは言えず、これまで提出した「見解書」「提言」等の主旨が考慮されていないことに憂慮を抱いている。ましてや現状の必要性にだけ対応しようとする拙速な改定は危険である。相異なる意見や立場の人びとが十分に論議を尽くし、国民的理解と協力の得られる対応が望まれる。
むすび
臓器移植法の在り方は、各国の国民性、科学技術、医療水準、精神文化、宗教事情など社会的・文化的要因に大きく依存するばかりでなく、各個人の死生観、倫理観、価値観など、人間存在の意義に深くかかわっている。
世界保健機関(WHO)から、国外での渡航移植に関するガイドラインが示されると言われているとはいえ、拙速な判断は、将来にわたる日本人の死生観の形成に禍根を残すものと危惧(きぐ)の念を持っている。
臓器移植法の見直しにあたっては、私たちの見解等を含め、国民各界各層の意見と協力を幅広く取り入れ、わが国の文化福祉国家として相応しい医療制度の実現に最善を尽くされることを、立法・行政の諸機関をはじめ関係各位に対して、私たちは衷心から要請する。
以上
平成21年4月23日
立正佼成会理事長
渡邊恭位
(2009.5.8記載)