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2009年12月31日 白柳誠一師告別式で庭野会長が「哀悼の言葉」

カトリック枢機卿でWCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会第二代理事長を務めた白柳誠一師が平成21年12月30日午前6時45分、心筋梗塞(こうそく)のため静養先である東京・練馬区のイエズス会上石神井修道院ロヨラハウスで帰天されました。81歳でした。訃報(ふほう)を受け、庭野日鑛会長は31日午後、東京・文京区の東京カテドラル聖マリア大聖堂に隣接する「司祭の家」を弔問。1月5日には同大聖堂での「葬儀ミサ・告別式」に参列し、各界を代表して「哀悼の言葉」を述べました。 

白柳師は昭和3年、東京・八王子市でクリスチャンの家庭に生まれました。生後間もなく洗礼を受け(洗礼名・ペトロ)、幼い頃から教会に通い、小学生の時、神父を志しました。
上智大学大学院神学科修了後、26歳で司祭に叙階。イタリア・ローマに留学し、教皇庁立ウルバノ大学大学院で法学博士を取得しました。41年、司教に叙階後、土井辰雄枢機卿の帰天に伴い、45年にカトリック東京教区大司教に任命されました。平成6年には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世により日本人として4人目の枢機卿に親任されました。

常に国内のカトリック教徒の精神的支柱であり続け、温厚、気さくな性格と深い信仰心からにじみ出る温かさは周囲の人々を引きつけてやみませんでした。
一方で、一貫して反戦と平和を説き続け、軍縮を求める署名を集めて「第二回国連軍縮特別総会」に提出したほか、日本のカトリック司教として初めて第二次世界大戦に対する日本のカトリック教会の戦争責任を公式に謝罪、また最貧国に対する「債務帳消し国際キャンペーン(ジュビリー2000)」日本実行委員会の共同代表を務めるなど、積極的に平和への取り組みに尽力しました。
また、「違いの中にこそ豊かさがある」を信条に、宗教対話・協力活動にも貢献。バチカンと国内の宗教者の橋渡し役を務め、WCRP日本委員会では平和研究所所長、常務理事と要職を歴任し、初代理事長を務めた庭野日敬開祖の後を継ぎ8年から3期9年間、第二代理事長の任にあたりました。宗教協力活動を通して立正佼成会とも縁が深く、庭野開祖の告別式では参列者を代表して弔辞を述べました。
31日午後、庭野会長は、渡邊恭位理事長、国富敬二総務局副局長と共に東京・文京区の「司祭の家」を弔問に訪れ、ご遺体と対面。献香献花のあと、喪主の岡田武夫東京大司教に弔意を伝え、「WCRP日本委員会の理事長を長年、お務め頂き、ありがとうございました」と謝意を表しました。
また1月5日、庭野会長は同大聖堂での「葬儀ミサ・告別式」に参列。本会から渡邊理事長、川端健之総務局長らが出席しました。庭野会長は、各界を代表し、WCRP日本委員会理事長として「哀悼の言葉」を述べました。
この中で庭野会長は、「カトリック教会と日本の諸宗教を結ぶ重要な役割」を果たし、「私ども諸宗教に関わる者が、国際的な眼を開いていく貴重な縁となってくださいました」と白柳師の遺徳に言及。WCRP日本委員会理事長としての功績に触れ、名前どおりの「誠意一筋」の人柄を偲(しの)びました。最後に、11年10月、庭野開祖の「葬儀・告別式」で白柳師が弔辞に立った際、聖フランシスコの「平和の祈り」に込められた精神を説いたことを紹介。改めて「平和の祈り」を唱え、白柳師の冥福を祈りました。
なお4日夕、同大聖堂で営まれた通夜には、庭野光祥次代会長が参列。献花を行い、白柳師の冥福を祈りました。庭野欽司郎顧問、庭野統弘学林学監が同行しました。

ローマ教皇が弔電 バチカンでも報道
「バチカン放送」と「アジアニュース」(教皇庁外国宣教会国際通信社)は1月7日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われた白柳誠一枢機卿の葬儀ミサと「彼の残した精神的遺産」について報じました。
両メディアは「葬儀では岡田武夫東京大司教と立正佼成会の庭野日鑛会長が追悼の辞を述べ」、東京大司教区の信徒たちが「最後にアッシジの聖フランシスコの『平和の祈り』を唱える、庭野会長の短いながらも感動的な哀悼の言葉」に耳を傾け、白柳師の推進した「諸宗教対話がいかに重要で肥沃(ひよく)であるかを理解した」と伝えました。白柳師が10年前、庭野日敬開祖の葬儀で、同じように聖フランシスコの「平和の祈り」を捧(ささ)げた事実も紹介されました。
白柳師の訃報を受け、ローマ教皇ベネディクト十六世は12月30日、岡田大司教に宛て弔電を送りました。この中で教皇は、白柳師の「長年にわたる日本での飽くことなき福音宣教への努力」と「正義と平和の促進」「絶え間なき難民救済活動」を評価し、それらの貢献の「結実として、神が彼の高貴なる魂に天上の光と平和を与えてくださるように」と祈りを捧げました。
バチカン放送は同日、白柳師の追悼番組を組みました。31日付のバチカン日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」は、教皇の弔電を掲載し、「諸宗教対話に対する特別なる門戸の開放者であり、すべての信仰者の(信教の)自由に関する厳格で尊敬に満ちた擁護者」と功績を讃(たた)えました。(宮平宏・佼成新聞バチカン支局長)

(2010.1.15記載)