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2011年02月15日 大聖堂はじめ全国各教会で「涅槃会」式典


奉献の儀では、サリーに身を包んだ多摩ブロックの青年女子部員16人が、釈尊に対する報恩感謝の誠を捧(ささ)げた

釈尊入滅の意義をかみしめ、仏教徒としての精進と布教伝道の決意を新たにする「涅槃会(ねはんえ)」式典が2月15日、大聖堂はじめ全国各教会で行われました。大聖堂には約3300人が参拝に訪れました。庭野日鑛会長は法話の中で、生あるものは必ず死を迎えることを悟るとともに、有限のいのちに感謝し、「仏になる」という一つの目標に向かって真剣に生きる大切さを説きました。

式典では、釈尊入滅を伝える物語がナレーションで紹介されたあと、多摩ブロックの青年女子部員16人による奉献の儀、読経供養が行われました。引き続き、導師の庭野光祥次代会長が庭野会長の啓白文を奏上しました。
体験説法に立った澤田晃成長野中央教会長は、法燈継承20周年を踏まえ、青年期に両親の信仰に反対していた自分が教えの縁に触れるまでを述懐。人生の岐路と思える場面で、仏の道を歩む尊さを示唆する人に出会えたと話し、一つひとつの縁が自身の法燈継承につながったと振り返りました。
また、「布施が智慧(ちえ)をひらく」という庭野会長の指導を通し、「三つの基本信行」の「ご供養」こそが自分を変える第一歩であると改めて受けとめ、その実践を報告。毎日ご宝前に礼拝(らいはい)する中で「おかげさま」「ありがとう」という感謝の心が身についていくとし、「会長先生のご指導を聞くだけで終わらせず、教会の皆さんと一緒にたゆまず実践してまいります」と決意を表しました。
このあと、登壇した庭野会長は、人間の体内では日々、何千億個もの細胞が死滅と再生を繰り返していますと説明。法華経の「如来寿量品」にある『近しと雖(いえど)も而(しか)も見ざらしむ』という一節になぞらえ、一番身近な自身の体のことさえ、多くの人は知らずに生きていると話しました。その上で、人間にとって「絶対」なものとは「死」であり、「生死」としっかり向き合う中で修行する大切さを強調しました。
さらに、「十」と「一」と「心」によって構成される「志」という字に触れ、「十」は無限の欲望を表しており、「それを一つにまとめ、目標を持って前進する」という意味があると解説しました。その上で「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費している」というローマの哲学者の言葉を引用。人生を無駄づかいせず、仏になるという「一つの目標に向かって、真剣に生きる、一所懸命に生きる」大切さを説きました。

(2011.2.25記載)