18日、仙台教会で行われた地域対策本部の会議。渡邊佳政ブロック長をはじめ、第1、2次援助隊のメンバーにより情報が確認された
立正佼成会「東日本大震災対策本部」の派遣決定を受けて第2次援助隊(隊長=江森康雄教務局教育グループ専任講師)7人が3月17日午前、本部事務庁舎前から仙台教会に向けて出発しました。渡邊恭位理事長は出発に際し、「被災された人たちのお役に立つように」と励ましました。
第1次援助隊は15日、岩手県境の気仙沼市を訪れ、被害状況を視察した
同隊は、燃料や米などの救援物資を積んだトラックとともに同日夜、同教会に到着。第1次援助隊(隊長=根本昌廣外務部長)から情報と活動を引き継ぎ、翌18日から同教会および周辺教会の包括地域内で被災者への援助活動を開始しました。
一方、災害発生直後の12日に派遣された第1次援助隊は所期の目的を達成し、18日夜、本部に帰着しました。
仙台教会は11日の地震発生以来、会員の安否確認をはじめ被災した市民の救援活動に取り組んでいます。「東日本大震災対策本部」から派遣された第1次援助隊は同教会を拠点に、会員が行う諸活動のサポートに当たってきました。また、17日夜には第2次援助隊が到着。第1次隊に引き続き、活動を展開しています。
第1次援助隊 被災状況確認急ぐ
震源地に近い仙台教会では、会員の安否確認を最優先事項に掲げ、その徹底に力を注ぎました。携帯電話などの通信が断たれ、連絡は困難を極めましが、支部長らは連日にわたって会員宅や避難所を訪問しました。
訪問先では、庭野日鑛会長が被災者に向けて発表したメッセージのコピーを手渡すとともに食料を配布、励ましの言葉をかけました。津波により自宅が損壊し、避難所に身を寄せる会員は、「サンガって温かい。青年部の仲間からもメールをもらい、励まされました」と声を詰まらせました。
電気やガス、水道といったライフラインが寸断された中、青年部員を中心に教会道場で炊き出しを実施。会員が提供した薪(まき)や木炭、市内の給水所から補給した水を使用し、3月12日から15日までの4日間で約5千食分のおにぎりとみそ汁を市民に振る舞いました。
同県南部の亘理(わたり)、山元の2町を包括する南支部でも16日から、連絡所で炊き出しを行っています。
本部からの救援物資と共に13日夜に現地入りした援助隊は、同教会が実施する活動のサポートを翌14日から本格的に開始しました。安否確認の同行に加え、炊き出しの手伝いや近隣教会から寄せられた救援物資の搬入、道場で使用する水の補給を担いました。
15日には根本昌廣隊長ら4人が会員や市民約100人が避難生活を送る石巻教会を訪問。食料や懐中電灯、衛生用品など救援物資を届けるとともに、会員の被害状況や支援のニーズなどを確認しました。根本隊長らはその後、岩手県境の気仙沼市にある同教会気仙沼道場を訪れ、被災状況を視察しました。
被災地では通信網が機能せず、生活に必要な情報の入手が困難な状況が続いています。特に福祉や医療に関する情報は重要であり、受診可能な病院や寸断された道路の開通情報などを把握できない会員が多数いることから、援助隊は「情報サービスチーム」を組織。諸施設などのホームページや行政の通達を基に内容を精査し、会員に有益な情報を道場玄関に掲示しました。
第2次隊 支援活動と共に救援物資を搬送
第2次隊は3月17日夜、仙台教会に到着しました。翌18日に第1次隊との引き継ぎを行い、小グループに分かれ、それぞれ会員への支援活動を開始しました。
第1次隊と同様、教会幹部らが行っている会員の安否確認に同行したほか、同教会の青年部員と共に市内で地震、津波の影響で堆積(たいせき)しているがれきなどの撤去作業に取り組みました。
第2次隊は今後も仙台教会会員が行う安否確認作業のサポートを行う予定。併せて倒壊や浸水の被害に遭った会員宅からの荷物の運び出しなどにも取り組むことになっています。
また、隊員の一部は石巻教会を訪問。浸水した道場の1階などに対し、応急の処置を施しました。
仙台教会青年部員と第2次援助隊は、津波によって堆積した土砂やがれきの撤去作業を実施した(19日、仙台市宮城野区)
17日夜、第2次援助隊と共に食料やカセットコンロなどの救援物資が地域対策本部が設置された仙台教会に到着した
仙台教会では、被災直後から会員の安否確認に力を注いだ。再会を喜び、固い握手を交わす渡邊佳政教会長と会員(16日、亘理町)
避難所で庭野会長からのメッセージのコピーを受け取り、涙ぐむ会員
変貌(へんぼう)した町で、地図と会員の住所を照らし合わせる仙台教会の支部長たち(17日、仙台市若林区)
石巻教会道場には、会員、市民約100人が避難した
宮城・名取市の東日本高速道路名取料金所付近(17日)
津波で1階部分が浸水し、孤立状態に陥った石巻教会。地震発生の翌日、「SOS」と記したシーツを道場外壁に掲げ、救助を待った
(2011.03.24記載)