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2014年03月13日 庭野欽司郎参与 通夜、告別式 教団葬


庭野参与の遺影の前で庭野会長があいさつを述べた(告別式)

庭野日敬開祖の次男で教団の要職を務め、3月9日に満73歳で逝去した庭野欽司郎立正佼成会参与(庭野平和財団理事長)の葬儀(追悼供養、通夜、告別式)が12日から14日まで、教団葬として法輪閣大ホールで執り行われました。遺族、親族はじめ教庁・事業体役職者、教会長、全国の会員、各界関係者ら延べ約8千人が参列、庭野参与に別れを告げました。喪主は妻・匡代さん、葬儀委員長は川端健之理事長が務めました。

庭野参与は庭野日敬開祖、直子夫人の次男として生まれ、本会の青年本部長、総務部長、理事などを歴任、教団の発展に大きく寄与しました。佼成学園理事長、庭野平和財団理事長、新宗連(新日本宗教団体連合会)評議員も務め、青年の育成、平和社会活動、宗教協力などに幅広く貢献しました。
葬儀会場の法輪閣大ホールの祭壇には、『欽生院法道龍德信士』の戒名と庭野参与の遺影が安置された。会場には献花の長い列が続きました。
14日、佼成雅楽会の序奏で告別式が開式。川端理事長導師による読経供養、引導文奏上に続き、遺族、親族はじめ、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏(名代・中曽根弘文参議院議員)、鳩山由紀夫氏ら各界の参列者が代表焼香を行いました。

深田円応教教主、内田元理事長が弔辞

このあと、庭野参与と親交の深かった深田充啓円応教教主(庭野平和財団理事)、内田昌孝元教団理事長が弔辞を述べました。
深田教主は、新宗連「第1次東南アジア青年平和使節団」(昭和49年)の団長を務めた際、副団長だった庭野参与との出会いをきっかけに40年間、兄弟のように親しく付き合った思い出を述懐。陰に陽に助けられたことを振り返り、「欽さん、ありがとう。お世話になりました。さようなら」と故人に呼びかけました。
内田元理事長は、求道の中にこそ庭野参与の人生が凝縮されていたと語った上で、戒名の「龍」の字に触れ、「あなたは龍のごとく昇天し、開祖さま、お母さまのもとに行かれ、法華経守護神の七面大明神のごとく、私たちを見守ってくださることと思います」と述べました。
弔電奉読に続き、庭野会長があいさつ。弟である庭野参与の病状の経過を報告したあと、「弟は多くの方々と親しいご厚情を頂いておりました。生前のご厚情に対し、深く感謝を申し上げます」と謝意を表しました。
最後にあいさつに立った川端理事長は、庭野参与の魅力の源泉は、自然体で誰に対しても家族のように触れ合い、半歩先を歩み、後ろ姿で導く「半歩主義」にあったと回顧。「そのお姿に学び、当たり前のことを当たり前に実践することが、ご恩に報いる道」と述べました。
遺族、親族はじめ参列者が棺(ひつぎ)に花を入れ、庭野参与に最後の別れを告げたあと、遺族を代表して姉の泉田佳子元本会理事があいさつしました。
棺はホール中央を運ばれ、法輪閣玄関から出棺。沿道の人々が見守る中、棺を乗せた車は波羅蜜橋(はらみつばし)を進み、大聖堂玄関前を通ったあと、庭野参与が校長を務めた佼成学園中学・高等学校前で、吹奏楽の演奏とともに生徒たちに見送られました。
これに先立ち13日夕に営まれた通夜では、読経供養が行われ、導師の川端理事長が回向文を奏上。福田康夫元内閣総理大臣、岡野聖法新宗連理事長(解脱会法主)らが代表焼香を行いました。
次いで、庭野参与とつながりの深いBCYCC(フィリピン、バターンキリスト教青年会)のアナ・マリア・バンソン・トアソン氏が、アルバート・ガルシア・バターン州知事、ルペルト・クルス・サントス・カトリック司教の追悼メッセージを読み上げました。
弔電奉読に続き、庭野会長、川端理事長があいさつを述べました。
なお、葬儀に先立つ12、13の両日、法輪閣大ホールで4回にわたり追悼供養が行われました。元教団理事長の酒井教雄氏、元理事の黒澤国雄氏、天谷忠央氏、山田匡男氏が導師を務め、合わせて約3300人が追悼の誠を捧げました。

(2014.3.20記載)