「サラマ!(ありがとう)」。子供たちは事務局員と握手し、ゆめポッケを大事そうに抱えました
「ゆめポッケ親子ボランティア隊」事務局(隊長=峯坂光重青年グループ次長)の一行4人が3月28日から4月2日まで、フィリピン南部のミンダナオ島を訪れました。同国政府とイスラーム系反政府組織の紛争が40年以上続く同島の子供たちに、立正佼成会は2009年以降これまでに5310個のゆめポッケを届けてきました。今年1月から、武力衝突の激化で治安が悪化したことに伴い、今回は予定されていた親子8組16人の渡航が中止され、事務局員のみの派遣となりました。一行は、山間部の村を訪問。ゆめポッケを配付したほか、現地の様子を視察しました。
ゆめポッケ配付に先立ち、今回渡航できなかったボランティア隊(会員親子)のメッセージが紹介されました
ミンダナオ島では1970年以降、先住民のムスリムの一部によって構成される反政府組織が、フィリピン政府に自治、独立を要求し、国内紛争に発展。これまでに十数万人以上が犠牲となり、多い時には80万人もの市民が避難生活を余儀なくされました。現在も7万人以上の国内避難民が存在します。昨年、和平合意がなされたものの、今年に入り、再び戦闘が頻発。新たな避難民も発生し、緊張状態が続いています。
ゆめポッケは、こうした紛争下にある子供たちのほか、石油や天然ガスなど地下資源の採掘、大規模農場の開発により、不当に土地を接収され、山間部に移住を強いられた民族の子供たちにも届けられています。
現地でゆめポッケの配付に協力しているのは、国内避難民など貧困下にある子供に医療や就学の支援、絵本の読み聞かせを通した心のケアを行うNGO(非政府機関)「ミンダナオ子ども図書館(MCL)」です。一行はMCLスタッフの案内で3月30、31の両日、山間部の四つの村を訪ねました。
その一つ、標高800メートルのレイク・サガン村には、開発により農地を奪われ、平野部から移住してきたマノボ族が暮らしています。山間部の痩せた土地は稲作に適さず、トウモロコシやキャッサバを栽培しても、収穫は一日一食分にしかなりません。一方で、山の裾野の森林を伐採して造成されたバナナ農場で働く人もいます。しかし、賃金は国が定める最低額を下回るというのが実情です。
同村の集会所で事務局員たちは、102人の子供一人ひとりにゆめポッケを手渡しました。「サラマ!(ありがとう)」。子供たちは、はにかみながら事務局員と握手を交わしました。
「ミンダナオ子ども図書館(MCL)」による絵本の読み聞かせ
ゆめポッケを通して届けられた多くの「元気」
一行は、ゆめポッケを受け取った子供の家庭を訪れました。竹を材料に造られた家で迎えてくれたのは、パスクオール・バンシーラン君(5)です。ゆめポッケの中身を広げ、「おもちゃをもらったのは初めて。ミニカーが気に入ったよ」と目を輝かせます。8畳ほどの広さに、両親と7人のきょうだいが暮らしています。農業を営む父親の収入は1日150ペソ(約420円)。村の平均を少し上回るものの、生活は厳しいのが現状です。母親は「日々の暮らしに手いっぱいで、子供たちに文房具を買うお金がありません。何とか高校までは行かせてあげたいのですが……」と話します。
生活苦とともに、教育環境の不備が大きな課題となっています。村には幼稚園と1、2年生対象の小学校しかありません。3年生に進むには、未舗装の山道を1時間以上歩いて通学しなければならず、多くの子供が進級を断念するのだといいます。
MCL代表の松居友氏は、「鉛筆が買えない。服や靴がない。学校に弁当を持っていけない。子供たちはそうした厳しい状況の中で、文房具やおもちゃと同時に、たくさんの元気を心のこもったゆめポッケから受け取ります。子供たちの喜ぶ姿を見ていると、ゆめポッケの大きな役割を感じます」と語ります。
紛争が今も続くミンダナオ島。第二次世界大戦でも多くの人命が失われました。ゆめポッケの配付を終えた一行は4月1日、同島中部に位置するダバオ市のミンタル日本人墓地で、戦後70年に際し「祈りの集い」を厳修しました。現地の日系人、MCLスタッフらと共に、すべての戦争犠牲者に慰霊の誠を捧げ、世界平和を祈念しました。
(2015年6月 4日記載)
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年