庭野平和財団の第7回「GNH(国民総幸福)シンポジウム」が11月10日、東京・中野区の中野サンプラザで開催され、約50人が参加しました。
GNHは、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)といった経済発展の指標ではなく、幸福度によって豊かさを測ろうとする概念。ブータンの前国王により提唱されました。同財団は毎年、「GNH」と「地元学」に関するシンポジウムを開催するほか、これまで熊本・水俣市や岩手・葛巻町、新潟・長岡市(旧川口町、旧山古志村)で現地学習会を実施。地域社会の再生や自然エネルギーの開発、中山間地域の自治などについて学びの機会を企画してきました。
当日は、『幸福の意味について』をテーマに、立教大学大学院の内山節教授が基調発題に立ちました。冒頭、高度経済成長期の影響から日本では、物質的な豊かさが幸福と捉えられてきたと説明。しかし、経済発展の一方、自らのいのちだけを大事にする現代社会では多くの人が孤独、孤立を深めており、人や自然とのつながりの中に幸せを見いだす人が増えるなど価値観が変化してきたと紹介しました。
また、自身が暮らす群馬・上野村を例に挙げ、日本には古来、山や川といった自然に神や仏を感じて敬う信仰が生活に根付き、人々は神仏とのつながりを感じることで、幸福感を得てきたと説明。「現代人が忘れてきたものを思い起こし、幸福な関係とは何かを考えなければいけない」と今後への課題を示しました。
このあと、パネルディスカッションが行われ、内山氏に加え、一般社団法人「上野村産業情報センター」の三枝孝裕氏、NPO法人「ひずるしい鎮玉(しずたま)」の廣瀬稔也理事がパネリストとして出席。NPO法人「ニンジン」の槇ひさ恵常務理事がコーディネーターを務め、人と自然とのつながりの重要性、中山間地域のコミュニティーのあり方や課題などについて意見が交わされました。
内山節氏による基調発題(要旨)
問い直される幸せの中身
高度経済成長期の影響もあって、経済が発展し、いろいろな物を買えることが幸せだという社会が続いてきました。今日、それが二重の意味で壊れてきたと言えます。
一つは、たくさんの買い物をしても、幸せにならないという時代を迎えていること。もう一つは、たくさんの買い物をしようにも、働いている人の40%が非正規雇用であるという現実です。どちらの意味からも、昔のように経済が発展して、みんながたくさんの買い物をすればよいという時代は終わりつつあると感じます。
先月(10月)末に『いのちの場所』(岩波書店)という本を出しました。幸福といのちの問題はかなり似ています。先ほど言った、経済が発展し、いろいろな物が買えるようになれば幸せといった時代は、いのちが個人のもの、自分だけのものであるとの考え方によります。自分だけのいのちを、いかに大事にするかと考えてきたわけですが、自分だけのいのちにしてしまった結果、人は孤独で孤立し、不安だけが大きくなりました。
また、いのちは、いくら努力しても無限には続きません。そうすると、絶えず健康や死といった不安が出てきます。その中で、お金があれば、ひたすら消費を続けることによって自分が生きている感じになれたのですが、このことが、かなりむなしいものになってきたのです。
私たちが直面している問題は、自分の力によって幸福が手に入ると考えてしまっていることであり、いのちも自分の力によって維持できたり、確立できたりすると考えてきたことでしょう。それが果たしてそうなのかと、考え直さなければいけないときがきていると感じます。
150年前のドイツの哲学者であるショーペンハウエルは、仏教、とりわけ原始仏教も研究し、生は無であり、死も無であると言いました。そして、無である生、無である死を生みだしている奥には自我があり――これを魂と呼んでもいいのですが、この魂や自我は生と死を超越して存在していると考えました。しかし、生死の境界線がなく、どちらも無であるとすれば、人間は生き続けなければならない根拠がないとも考えられます。生きることは一面でむなしい行為であり、退屈な行為でもありますから、彼は最終的に自殺します。
当時のドイツでの仏教研究ですから仕方ないのかもしれませんが、彼は考え方で、あるミスをしたと思います。それは、生は無である、死は無であると言ったときの生も死も個人の生、死なのです。極端な言い方をすれば、私の生、死なわけです。個体に還元される考え方をしてきたわけですが、生や死は本当にそうなのでしょうか。日本に入ってきている大乗仏教の考えによれば、人間は自己完結的に生きていたり、死んでいたりするのでしょうか。本当はその点を問わなければいけなかったと思います。
つながり合う世界への視点
大乗仏教的な考え方とは、人間は表面的には一人ひとりではあるものの、実は奥の方で結び合っている、つながり合っているということでしょう。さらに人間だけでなく、自然も含め奥の方では全て結び合っているのであり、その奥の結び合う世界を信じているというのが大乗仏教の考えの一つだと思います。
極論すれば、奥の方に全てがある――自然も人間も結び合っている世界があって、そこから出てきている一つ一つの突起みたいなものが人間であり、さまざまな生き物であるわけです。奥の方で、自然界の生き物がつながっている世界を守っているのが仏という考え方でもいいし、さらに、問題なくつながり合う世界を仏の世界と言い直してもいいのではないでしょうか。ですから、仏を信じるとは、実は奥の方でつながり合っている世界を信じることで、そういう考えが大乗仏教にはあると、私は受け取っています。
なぜこうしたことを申し上げるかというと、私たち一人ひとりは確かに別の個体ですが、やはりつながり合っている世界にこそ、私たちの生きる場所があると思うからです。さらに、このつながり合っている世界の中で、幸福というものも発生します。例えば、家族というつながり合う世界で幸せを感じることもあり得るし、友人同士の、また仕事を通じたつながり合う世界で幸せを感じることもあり得る。自然とつながり合う世界で幸せを感じる場合もあります。幸せの形が全員一致することはありませんが、何らかのつながり合う世界の中で、人間たちは生きているだけでなく、幸せをつかんできたというのが、本当のことだという気がします。
いのちを自分だけのものにし、幸せも自分だけでつかむという発想になっていったのが近代世界であり、現代世界であります。そういう考え方自体が今、どうやら壁にぶつかっているのでしょう。幸せについて考え直したい人が増え、そういう議論が出てくる時代とは、同時に「関係」という言葉をもう一度、つかみ直そうとしている時代であるとも言えます。現在、世間では「関係」「関係性」「協働性」「助け合い」「コミュニティー」「共同体」といった単語が、今後の社会を考える重要な言葉として挙げられています。その点では社会は随分変わってきました。
上野村の暮らしから見えるもの
私が初めて群馬県上野村に行ったのは1975年です。その頃の上野村には舗装道路もありませんでした。ただ、道はかなり走りやすく、きれいでした。土の道ですから、多くの車が通ると穴が掘れてしまうことがあるのですが、村の人たちが共同作業で自ら修復していたからです。私はこの村の暮らしが気に入って、今まで行ったり来たりしています。
一方、当時、人に上野村の良さを話しても、「不便」としか受け取られませんでした。上野村は山あいにあり、住民の所得は高くありません。自然に支えられ、助け合って生きていますから、生活に困ることはないのですが、所得額だけを見れば、どちらかと言えば貧乏な地域でもあったからでしょう。
しかし、今は、村に協働性があって、自然に支えられている暮らしや、囲炉裏(いろり)や薪(まき)で焚く風呂のある家屋の話をすると、「いいですね」という時代に変わってきました。ひたすら経済力を高め、消費を増やしていくことが幸せだと思われていた時代には、上野村の暮らしは「面倒だ」と思われていましたが、自然との結び合いや人間同士の結び合いの中に良いものがあると感じる時代になってくると、上野村に家があると言うと「うらやましい」と言われるようになったのです。
上野村には、神さま仏さまがいっぱいです。それぞれ家には仏壇と神棚があり、どの集落にも村の人が彫った石仏があって、その数はおよそ1000体といわれます。山には神さまが祀(まつ)られていて、木を切る時などは神さまにお願いすることを欠かしません。ここにもつながり合う世界があるのです。
村の人は神や仏とのつながりを感じながら生きています。ただし、それは特定の教団に所属しているというのではなく、山の神さまが支えてくれていることを有り難いと感じるような、日常生活の中のつながり合う世界の中に神さまや仏さまを感じる土着的な信仰といえるものです。
上野村は、こうした地域の宗教や信仰があってこその社会でもあります。近代が忘れてきたいろいろなものを、もう一度思い起こしながら、私たちは幸福な関係とは何かを考えていかなければいけない時代を迎えています。
(文責・佼成新聞編集部)
(2015年11月19日記載)