法話に立った庭野会長は、教えに沿った生き方を心がけ、充実した日々を過ごす大切さを説いた
第二次世界大戦をはじめ、世界のあらゆる戦争犠牲者に深い哀悼の意を表すとともに、世界平和を祈念する「戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日」式典が、71回目の終戦記念日となる8月15日を中心に、大聖堂はじめ全国各教会で行われた。会員たちは、全ての戦争犠牲者に慰霊の誠を捧げ、恒久平和の実現を祈った。
15日の大聖堂での式典には会員約2000人が参集した。神奈川支教区の青年女子部員16人による奉献の儀に続き、読経供養が行われ、導師の庭野光祥次代会長が庭野日鑛会長の「回向文」を奏上した。導師焼香、献鶴の後、参加者全員で「ふるさと」を合唱。杉並教会組長(73)が体験説法に立った。
組長は2歳の時、原爆が投下された広島市の爆心地から100メートル離れた自宅で被爆し、父と兄を失った体験を発表。母も重傷を負ったため東京に里子に出され、育ての母と折り合いが悪い中での暮らしや、社会人となった後に勤め先が倒産して困窮したことなどを述懐した。
また、夫と前妻との間に生まれた娘との関係を紹介した。かつて自分を児童養護施設に預けた父親に憎しみを募らせていた娘と向き合う中で、自らの育ての親の心を理解し、感謝できた心境を報告。「かわいがろうとしても懐かない私を、(育ての母は)どんなにか寂しい思いで育ててくださったことか、娘を通して気づかせて頂きました」と語った。
その上で、人生を振り返り、世界平和の実現には、日常生活で仏の見方を心がけ、自らの心を平穏に保つ大切さを語り、今後の精進を誓った。
▼庭野会長が法話 迷う心こそ悟る主体
続いて、庭野会長が登壇し、焼香、献鶴に次いで法話を述べた。この中で、庭野会長は、80歳、100歳、150歳と長寿を望む老人に、一休禅師が肉体の生死にとらわれるのではなく、永遠の真理である教えに沿っていくことで生死は問題ではなくなると説法した逸話を紹介。人間には迷いがあるものの、その迷う心こそ悟る主体であり、人は迷いがあるから悟ることができると説いた。
さらに、原爆をつくったのも、現代の科学文明を開発したのも、人間の心であると指摘。「文明は発達しましたが、それ以前に比べて、不安はさらに大きくなったといえ、文明が発達しても心が開発されない限り平和は来ない」と述べ、教えを基に一日一日を充実して生きる大切さを示した。
(2016年8月25日記載)
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