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2010年02月01日 「仏教とキリスト教シンポジウム」開会式で庭野会長があいさつ

「第4回仏教とキリスト教シンポジウム」(フォコラーレ運動主催、立正佼成会協力)が2月1日から5日まで、タイ・チェンマイ市のビパッサナ瞑想(めいそう)センター(プラタシチョンソン・ウオライハン寺院)で開催されました。フォコラーレ運動のメンバーやタイ、日本の仏教徒ら約180人が参加。立正佼成会から庭野日鑛会長、佳重夫人はじめ沼田雄司教務局長、庭野統弘学林学監、赤川惠一総務局外務グループ次長らが出席しました。

第4回仏教とキリスト教シンポジウムのテーマは、『グローバル化世界における諸課題への宗教の対応──仏教のダルマ・慈悲とキリスト教の愛・アガペ』。仏教の「慈悲」とキリスト教の「愛」という宗教の根幹を確認し、現代の諸課題への対応を考察、検討することを目的に実施されました。2004年、イタリア・ローマ市での第1回以降、隔年ごとに開催され、今回が4回目となります。
1日の開会式では、冒頭、フォコラーレ運動諸宗教対話事務局共同代表のロベルト・カタラーノ師とクリスティーナ・リー師が同シンポジウムの歴史を振り返り、開催経緯やこれまでの成果などを紹介しました。続いて、各国代表者による平和を願う献灯セレモニーが行われ、タイのアジャン・トン大僧正が歓迎のあいさつに立ちました。アジャン・トン師は、「すべての宗教は善をもたらし、愛と慈悲を互いに差し出すことを教えている」と述べ、同シンポジウムは、仏教徒とキリスト教徒が平和のために共に手を携えることができる意義あるものだと強調。シンポジウム開催に対し「私たち一人ひとりに豊かな実りが生まれ、喜びを持って帰ることができるようにと願います」と期待を寄せました。
このあと、庭野会長があいさつに立ちました。庭野会長は、『グローバル化世界における諸課題への宗教の対応』というシンポジウムのテーマに触れ、新型インフルエンザの流行やリーマン・ショックなど地球規模の課題に言及。「わが国さえよければ、わが民さえよければ、という考え方が許されない時代になった」と指摘しました。その上で、宗教は人間中心のものの見方ではなく、「神の尺度」「仏の尺度」に立って物事をとらえていく大切さを教えるものであると強調。「地球という小さな惑星の上で、運命を共にしている人間同士であることを深くかみしめますと、自己の利益を最優先にし、貪(むさぼり)り、争うことが、いかに無意味であるかが分かってまいります。万物に支えられ生かされている人間として、皆が心を合わせ、調和し、愛と慈悲に満たされた生活を送ることこそが人間のあるべき姿」と語りました。
また、フォコラーレという言葉がイタリア語で「暖炉」を意味することに触れ、「人間としての『明るさ』『あたたかさ』があるところにこそ、国も民族も宗教も超えて人々が集い、調和が実現する」と述べ、キリスト教の「愛と一致」、仏教の「慈悲と一乗」の世界の実現に向け、手を携えて一層精進する意向を示しました。
このほか、バチカンのジャン・ルイ・トーラン諸宗教対話評議会議長(枢機卿)のメッセージが読み上げられるなど地域や各宗教の代表者6人がシンポジウムへの期待を述べました。
翌日からのシンポジウムでは、『価値の崩壊(家庭、青年層、マスコミ)』『現代人の苦悩』『金融危機と貧富の不均衡(経済システム)』をテーマに、3日間にわたって討議が重ねられました。
『現代人の苦悩』をテーマにしたセッションでは、赤川次長が進行役を務め、フォコラーレ運動のマリア・ボーチェ会長が『苦しみの秘義──キアラ・ルービックが体験した"見捨てられたイエス"』と題して発表しました。また、『金融危機と貧富の不均衡(経済システム)』のセッションでは庭野学監が登壇。危機を機縁として心の豊かさを求めたブータン王国や公害からの復興に向けた水俣市の取り組みを例に挙げ、現代の金融危機が「物質的欲望だけを追うのではなく、心の豊かさを追求しなさい」という仏のメッセージであると強調。身近にある幸せに目を向けて互いに合掌し、尊重し合う大切さを語りました。
このほか、期間中は仏教、キリスト教それぞれの教えに基づいた発表が行われ、参加者は、互いの共通点を見いだしながら学びを深めました。

(2010.2.12記載)