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2011年04月21日 【ルポ】力強く、慈悲あふれるサンガの姿 釜石教会


津波で倒壊した家から持ち出した写真や思い出の品を教会道場で乾かす(13日)

釜石教会の会員たちは、未曽有の災害に見舞われ、今も厳しい状況に置かれています。そんな過酷な状況のなかでも、互いに寄り添い、助け合い、力強く日々をおくっているサンガの姿を追いました。


震災犠牲者の五七日法要。参加者は犠牲者の冥福を祈り焼香を行った(14日、釜石教会)

「津波が窓ガラスを破って一気に流れ込んできました」。男性会員のAさんが振り返る。東日本大震災発生後、岩手県大槌湾から押し寄せた大津波は、Aさんが避難した鵜住居(うのすまい)町の防災センターの2階にも流入。Aさんは必死で手に触れた物にしがみつき、水面から顔を出した。天井までの隙間はわずか30センチ。死を覚悟した瞬間もあった。
やがて津波は引き、2日後、自衛隊に救助された。「目の前で多くの人が流されました。助かったのは奇跡としか思えない」。Aさんは亡くなった人を思うと、今も言葉が見つからない。

岩手県内の避難者は約4万4千人に上る(4月14日現在)。そうした中、大槌町の女性会員Bさんは、津波で家を流された妹一家を自宅に受け入れ、12人で暮らす。
教会から届けられた衣類や食料は近所にも配った。沈んだ表情の人たちに明るく元気にあいさつし、「共に手をとり合い乗り切っていこう」と地域の結束を呼びかける。「前向きに生きられるのも信仰のおかげさまです」と受けとめている。

山田町の主任は、津波で漁船を流され生活の糧を失った。何も考えられない状態の中、ふと脳裏に浮かんだのは会員たちの顔だった。居ても立ってもいられず、安否確認に歩き始めた。夜通し並んで車にガソリンを補給しては、会員宅や避難所を回った。会員の元気な姿を見て、抱き合い、涙を流しながら再会を喜び合った。その一方で、亡くなった会員を心から悼み、毎日ご供養をあげ、冥福を祈った。
「サンガは家族も同然です。これからもお互いに支え合いながら一緒に生きていきたい」と主任は語る。

宮古支部では心のケアに重点を置いた手どりに力を入れる。女性会員のCさんは、自宅が半壊した同じ地区の女性会員から「信仰をしていても良いことなどない!」と、思いをぶつけられた。Cさんは女性と共に宮古道場に泊まり込み、寝食を共にしながら寄り添った。誰にもぶつけようのない震災への憤り。一人暮らしの不安と恐怖。女性の心にCさんはひたすら耳を傾けた。サンガも手作りの菓子を届けるなど、温かい触れ合いを続けた。
やがて、女性は少しずつ落ち着きを取り戻した。自分自身を見つめる余裕が生まれ、いのちの有り難さに気づいた。前向きになった女性の姿を見て、サンガも喜びが込み上げた。
「苦難の中にある気づきや学びを一緒に見いだしていけるような触れ合いを続けていきたい」と支部長は話す。

ある主任は、震災後、釜石市内にある自宅近くの避難所を週に2、3回訪れ、施設内で孤立しがちな人に声をかける。家庭備蓄用の食料を提供し、毎回、炊き出し用の米や水、自家製の漬物なども届ける。
主任自身、津波で姉夫婦を亡くした。亡くなった人を思うとつらいが、日々のご供養などを通して心を見つめる中で、「自分は生かされた以上、いのちに感謝し、自分に与えられた使命を精いっぱい果たしたい」と心を切り替えられた。
「被災された方々の思いに耳を傾けることが、仏さまから頂いた私のお役だと思います。悲しみが消えることはありませんが、沈んでいては前に進めません。だからこそ、常に笑顔で、復興に向けて皆さんと一緒に明るく元気に生きていきたい」

困難な時こそ信仰を支えに生きる。被災地には温かく、慈悲にあふれたサンガの姿があった。


「仲間と支え合いながら街の復興を見守り続けたい」(15日、釜石市内の避難所で)


子供の元気な姿が、被災した会員らの心を和ませる(16日、大槌町の会員宅で)

(2011.04.21記載)