ロサリーナ氏は、マヤの伝統と精神性を基盤に、長年に及ぶ内戦や軍事政権の弾圧で夫を失った女性たちと連帯し、相互扶助による救済や経済的支援に尽力されています。
「コナビグア」は、先住民の女性たちが悲しみを分かち合い、社会の情報を得、自らの権利を学び、自信を深めていく重要な役割を果たしました。ロサリーナ氏ご自身、お父さまとご主人を殺害されながら、怨(うら)みや憎しみの情に突き動かされることなく、非暴力により社会を変えていく道を選択され、同じ境遇にある女性たちに寄り添い、課題を一つ一つ改善してこられました。
現在、「コナビグア」のメンバーは、十二の県で一万人以上にのぼります。それには、ロサリーナ氏の信念と人柄が、大きく影響しているに違いありません。仏教では、「同悲同苦」「自利利他」が菩薩の精神であると教えています。まさにロサリーナ氏に菩薩の姿を見る思いがいたします。
マヤ民族の言葉で「平和」とは、「周りのあらゆるものと調和し、バランスを大切にして、正しく暮らす」ことであるといわれます。すべての信仰、この世のあらゆる存在を敬意の対象としており、日々の生活では食物や水、空気などわが身に受けたものに感謝し、それに報いる生き方を志しています。これはマヤの教えのごく一部ですが、現代の世界に蔓延(まんえん)している「自己中心性」や「弱肉強食の価値観」と対極にあることは確かです。こうした伝統的精神性があるからこそ、自分たちを抑圧する側の人とも、根気よく対話し、平和的な手段で問題解決を図る歩みを続けておられるのだと思います。
私は仏教徒として、マヤの教えには共感する点が少なくありません。例えば、仏教の「縁起」の教えは、無量・無数の縁、つまり他の大きな力によって、いま自分がここに存在しているということです。「自分」という言葉そのものが、「自」は独特・独自の自であり、「分」は全体の中の一部分を指します。生きているというより、生かされているということが「縁起」の法の大事な意味合いです。その自覚から、無限ともいえる恩恵に感謝し、他と調和して生きることを大切にしています。
インドのマハトマ・ガンディー翁は、次のような言葉を残しておられます。「一樹の幹はただ一つであるが、枝や葉は多数であるように、真正且(か)つ完全なる宗教は、ただ一つに過ぎないけれども、それが人々の仲介によって多数となる。唯一の宗教は、言葉の範囲外にある」。あらゆる宗教や精神文化の根底に言葉を超えた共通の価値観があることを、マヤの教えを通し、改めて思い知らされた次第です。 未来を築くには、新たな発想や見識が必要でありましょう。しかし、マヤの人々が、数千年にわたって伝統を大事にし、そこから問題解決の道を見いだしてきたように、歴史・伝統の中に、より良い未来への智慧(ちえ)が宿されていることが多いように思います。
日本は明治以降、西洋の科学文明を積極的に取り入れ、それが今日の経済的発展の土台となったことは事実です。しかし、東日本大震災で深刻な原発事故が起こり、わが国は経験したことのない大変な試練に立っています。物質的豊かさや便利さの文明を追い求めたツケが回ってきたという厳しい意見も聞かれます。
マヤと同様に、もともと東洋には「古きを温(たず)ねて新しきを知る」という文化があります。そうした智慧をたずねて、自らの生き方を問い直すことが、今、わが国に最も必要なことと申せましょう。
先住民の女性たちが、自ら立ち上がった事実は、将来、必ず大きな実を結ぶものと信じます。いのちを宿し、育て、慈しむ女性としての特性を活かし、一層ご活躍くださることを願ってやみません。
(文責在記者)
(2011.05.18記載)
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