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2014年03月05日 創立76周年・大聖堂建立50周年記念式典


庭野会長は、今年を「大聖堂建立五十一年目の門出の年」と受けとめ、さらなる布教伝道に取り組む大切さを説いた

「創立76周年並びに大聖堂建立50周年記念式典」が3月5日、大聖堂はじめ全国各教会で挙行されました。大聖堂での式典には会員約4200人が参集。法話に立った庭野日鑛会長は、今年を「大聖堂建立五十一年目の門出の年」と受けとめ、教えの実践によって救われた悦(よろこ)びを多くの人に伝える大切さを説きました。式典の模様は全国各教会に衛星中継されたほか、海外教会・拠点などにインターネットで同時配信されました。

式典では、全国の青年女子部員代表16人による奉献の儀、読経供養と続き、導師を務めた庭野光祥次代会長が庭野会長の啓白文を奏上しました。
教団を代表してあいさつに立った川端健之理事長は、『一人でも多くの人に法華経に示された人間の生き方を知ってもらい、本当の幸せを自分のものにして頂きたい』という、庭野日敬開祖の本会創立の願いをかみしめる大切さを強調しました。
功労者表彰では、教会役員功労者(296人)代表=春日部教会、会員特別功労者(211人)代表=板橋教会=に、庭野会長がそれぞれ感謝状と記念品を贈呈。唐津教会会員が功労者を代表して体験説法に立ちました。
次いで、黒住教の黒住宗晴教主が来賓祝辞を述べました。黒住師は、宗教協力に尽力する庭野開祖の姿に触れ、宗教協力の発展に寄与したいとの思いを強くした体験を述懐。また、生命軽視の風潮が伝えられる現状を憂慮し、宗教者が率先していのちの尊さを伝えていく重要性を語りました。
このあと、法話に立った庭野会長は、蓮の花のたとえに触れ、「蓮は泥が汚れているほど大輪の花を咲かせます。そして、泥の中に咲きながら、決して泥には染まりません。仏教では、泥水を私たちの人生の悲しいこと、つらいこと、大変なことになぞらえ、悩み苦しみの中にあっても迷いに染まらず、悟りを得られることを教えてくださっています。つらいことを単なる不幸なこと、悲劇的なことと決めつけず、仏さまから幸せになるもとを頂いているのだという気持ちで乗り越えていくことができると思います」と教えに基づいたものの見方を説きました。
また、臨済宗妙心寺派龍安寺(京都市)の「知足の蹲踞(つくばい)」に刻まれている「吾唯知足(ワレタダタルコトヲシル)」という言葉を紹介し、「これは『幸せの本質は足るを知ることにある。私はただそのことを知っているだけで幸せでいられる』という意味合いです。私たちは『幸せになる本質はどこにあるか』をしっかり見つめ、精進させて頂きたいものです」と修行の心構えを示しました。
最後に、大聖堂建立50周年の節目を「大聖堂建立五十一年目の門出の年」と位置付けた意味合いを強調。「一歩踏み出して実践させて頂き、その悦びを人さまにお伝えしていくことが、法華経を多くの方に伝えることになる」と述べ、一層の布教伝道を促しました。最後に、佼成育子園の園児2人が、庭野会長と佳重夫人に花束を贈呈しました。
なお、式典終了後、法輪閣で祝賀会が行われました。

(2014.3.14記載)