4月5日から10日までフィリピンを訪れた「フレンドシップタワー建立40周年記念特使団」(名誉団長=庭野光祥次代会長、団長=泉田和市郎青年本部長)。1973年から4年にわたり実施された「青年の船」や、その後の「青年の翼」で同国を訪問したシニア層、また、近年、支教区などの海外研修で訪問歴のある青年部員など、幅広い世代から会員121人が参加しました。一行はバターン州でBCYCC(バターンキリスト教青年会)とフレンドシップタワー建立40周年記念式典を共催したほか、同メンバー宅でのホームステイ、日比文化交流会など、多くのプログラムに臨みました。それらの模様とともに、立正佼成会とフィリピンの人々とのこれまでの交流に関する現地関係者のコメントを紹介します。
建立40周年記念式典
光祥次代会長をはじめ本会会員とBCYCCメンバーが、「死の行進」の始発点からフレンドシップタワーまで「ライフマーチ」を行いました
フレンドシップタワーの譲渡式から丸40年を迎えた8日朝、本会会員とBCYCCのメンバー合わせて約200人が、「死の行進」の出発点「0キロメートルポイント」から、フレンドシップタワーまで行進する「ライフマーチ」を行いました。
同タワーで行われた記念式典は、日比両国の国歌斉唱で開幕しました。読経供養、両国の代表者による生花、折り鶴の奉献などに続き、庭野光祥次代会長が祝辞。「現在の世界は相互不信や憎しみによる暴力に満ちています。これほど危機的な時代だからこそ、国や宗教の違いを超えて私たちが成し遂げたことを、より多くの国、地域に広める決意が必要です」と述べました。
式典終了後、同タワーの「平和の鐘」を、両国の参加者が打ち鳴らしました。
庭野日敬開祖が願主となった「平和の鐘」を打ち鳴らす日比両国の参加者たち
BLYDCリニューアル開所式
8日、建立記念式典後、州都バランガに移動した一行は、「BLYDC(バターン図書館・青少年人材育成センター)リニューアル開所式」に出席しました。
BLYDCは、本会一食(いちじき)平和基金の支援により1985年に建設されたBLM(バターン図書博物館)が改修されたもの。昨年、同基金の支援による「BCYCC立正佼成会 合同事業」の調印式が行われました。同事業の一環として着手されたBLMの全面改修がこのほど終了。BLYDCは従来の図書館機能に加え、多目的室や無線LANの通信設備が備えられ、今後、青少年育成に活用されます。
開所式では、庭野日敬開祖の功績を讃(たた)える銘板、本会の日比交流の礎を築いた庭野欽司郎元参与の胸像の除幕式が、それぞれ行われました。
ホームステイ
参加者は約30組に分かれ、6日から9日までBCYCCメンバー宅で民泊を行いました。寝食を共にし、片言の英語や携帯電話の翻訳機能を活用しながら信仰観などについて語り合いました。
メアリー・アンさん(42)は、約20年前に実家で民泊を受け入れて以来の交流。本会とBCYFI(バターンキリスト教青年財団)が支援する奨学生として大学に進学、現在は国内大手銀行の支店長を務めます。「子育てが落ち着き、恩返しをと思い受け入れさせて頂きました。子供たちは日本語のあいさつを自発的に覚え、楽しみにしていました。短い間でしたが、子供と積極的に触れ合ってくださった皆さんの優しさに感謝しています」と話しました。一方、会員は、「フィリピンの方々の生活やカトリックの信仰を肌で感じられたことは大きな収穫になりました。帰国後は『一食(いちじき)を捧げる運動』に一層取り組み、平和の道筋をしっかりと受け継いでいきたい」と語りました。
文化交流
「カルチュラルナイト」のフィナーレを飾った、本会参加者による合唱。友情を表現した歌を現地語で披露しました
7日夜、バランガ市庁舎前の広場で、バターン州、バランガ市共催による、日比両国の文化交流イベント「カルチュラルナイト」が開催されました。
本会は書道や竹とんぼ、けん玉などの体験ブースを出展。会場を訪れた多くの市民に日本文化を紹介し、交流を図りました。
特設ステージでは、日比両国の歌やダンスを披露するプログラムが行われ、エンリケ・ガルシア市長、イメルダ・マルコス元大統領夫人ら多数の来賓が出席。日本を代表し、沖縄教会の会員13人が沖縄の伝統舞踊「エイサー」を披露しました。最後に本会会員全員が登壇し、現地タガログ語で「友達」を意味する『カイビガン』を合唱すると、会場から歓声が上がりました。
◆メモ フレンドシップタワー
1942年4月9日、第二次世界大戦で激戦地となったバターン半島が日本軍によって陥落。米比軍の捕虜は、バガックから収容所まで80キロ以上を歩かされ、飢えや渇き、病で1万数千人が死亡しました。75年、この「死の行進」の始発点からほど近くに戦争のサンゲと日比友好の願いを込め、本会青年部と現地の青年によりフレンドシップタワーが建立されました。同4月8日の譲渡式には、庭野欽司郎青年本部長(当時)を団長とする「第一回フィリピン平和使節団」が参加。以来、多くの本会青年部員が訪問しています。
共に世界平和への道を 現地からのコメント
サント・トマス大学准教授 パブリト・ベイバド
2008年にマニラで開催された第7回ACRP(アジア宗教者平和会議)大会の席上、立正佼成会がBCYCCと長年にわたり交流を重ねていることを知りました。私は、この宗教間交流は紛争の和解、平和構築の画期的なモデルであると確信し、昨年から本格的な研究をスタートさせました。
立正佼成会とBCYCCによる取り組みで最も意義深いものの一つに、ホームステイプログラムがあります。異なる文化を持つフィリピンで、しかも初対面の家庭に宿泊することは、皆さんにとって大きな不安があるでしょう。それは受け入れる側も同じはずです。しかし、一つ屋根の下で共に笑い、涙し、時にぶつかりながら相手を知ることで、真の友情が育まれていくことを改めて学ばせて頂きました。
仮にホームステイプログラムが存在せず、物質的な支援や慰霊碑などのモニュメント建設、その建立記念式典だけの交流であったら、バターン州の人々の日本人に対する見方は戦中のように憎しみを含んだままだったかもしれません。しかし、皆さんが長年にわたって毎年この地を訪れ、サンゲし、交流を重ねてきたことで、バターンの人々の心は確実に変わりました。8日午後に行われた州都バランガでの「バターンデーパレード」では、数日前まで見知らぬ他人だった日比両国の青年が肩を組んで笑顔で歩き、沿道のフィリピン人たちはその姿を温かく見守り、手を振っていました。この光景を目の当たりにし、私は胸が熱くなりました。
ご存じのように、フィリピン国内では宗教の違いによる争いが今も続いています。子供たちには、心の通った真の交流により、争いで生じた壁や負の歴史を乗り越えられることを、皆さん方の取り組みから学んでほしい、そう願っています。
研究がまとまり次第、国内の小学校の教科書でこの歩みを紹介してもらうよう、政府に働きかけたいと思っています。
BCYCC会長 ホセ・トアソン
皆さん方がフィリピンまで訪ねてくださり、フレンドシップタワー建立40周年記念式典を共に挙行できたことを光栄に思います。
戦時中に日本軍がバターンに侵攻した時、祖父は大学退学を余儀なくされ、祖母は自宅を破壊されました。神父だった親戚は殺されてしまったと聞いています。悲惨な歴史は、事実であることに変わりありません。しかし、皆さんのこれまでの真摯(しんし)な姿勢により、戦争犠牲者、また被害を受けた方々は、きっと過去の過ちを許してくださると、私は受けとめています。
私たち青年には、新たな歴史をつくり上げていく使命があります。過去にとらわれず、平和を築くために前進していくことが、先達が私たちに託した願いであるはずです。
皆さんは世界各地で支援を展開され、これ以上争いが起こらないことを願ってさまざまな平和活動に取り組まれています。BCYCCも皆さんと心を同じくし、共に世界平和への道を歩んでいくことを誓います。
バターン州知事 アルバート・ガルシア
30年前、フレンドシップタワー建立10周年記念式典の席上、当時のパスカル州知事が宣言を行いました。それは、4月3日から、「バターンデー」の9日までを「日比友好週間」とすることが州議会で決議されたというものでした。
その後も、皆さん方は宗教精神に基づく民間レベルの草の根の交流を続け、バターン州の大学生への奨学金制度はじめ、多くの支援をしてくださいました。州政府をあずかる者として、厚く感謝を申し上げます。
今年3月、バターン州議会は立正佼成会とBCYCC、BCY財団によるこれまでの取り組みの功績を讃えるとともに、庭野欽司郎先生をはじめとする諸先輩のたゆみない努力により日比の友好関係が育まれてきたことを、全会一致で正式に承認させて頂きました。
今後も、未来を担う青年たちが友情を深め、日比友好の絆が一層強まることを心から願います。
(2015年4月24日記載)