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2016年10月26日 日本総合研究所会長・寺島実郎氏 講演録

21世紀に入って15年が経ち、世界は大きく変わろうとしています。
特にコンピューターサイエンス(人工知能)と生命科学の分野では目覚ましい進歩が見られました。世界の研究機関ではヒトゲノム(ヒトの全遺伝情報)の解読を終え、チンパンジーとヒトのDNAの差異はわずか1.2%程度しかないことも分かっています。人工知能と生命科学の驚異的な発展に伴い、「人間」や「宗教」について、捉え直さなければならない時代が来ているのではないか、と思います。
近年の研究によると、約1万年前、狩猟から農耕文明に移り、人類が定住生活を始めるようになった頃から、隣人や同族への愛という感情が人の心に芽生え始めたとされています。その後、長い時間を経て世界の三大宗教が生まれ、宗教の心といわれる「利他心」や「慈悲」「許す心」が人々に育まれていったのです。ですから、宗教によって、人類は「生」に対する視界を大きく開いてきたと言っても過言ではありません。
近い将来、人間の能力を人工知能が凌駕(りょうが)するとの議論もありますが、「意識」するという心の働きをコンピューターは持ちません。意識とは、相手の気持ちや感情を受け取る精神の作用であり、神や仏の存在を感じることができる能力のことですが、機械には持つことはできないのです。
一方、人間はもともと目に見えない大きな力によって生かされ、謙虚な態度で生きていかなければならないという意識を有しています。宗教心にも通じるこの人間の特性を生かすことが、人々の調和と共生につながるのではないでしょうか。
イベリア半島をウマイヤ朝イスラムが制圧してから21世紀に至るまで、キリスト教とイスラム教は五度にわたり衝突を繰り返してきました。そして、今なお過激派組織IS(イスラーム国)に象徴されるような宗教の名を使った暴力が世界を震撼(しんかん)させています。9・11以降、テロや紛争による犠牲者は、30万人とも40万人ともいわれ、それら殺戮(さつりく)は、宗教の名の下に正当化されています。しかし本来、人間の傲慢(ごうまん)さを睨(にら)みつける「存在」が宗教であり、その意味では、宗教の名を使った暴力は、神や仏の存在を意識しなくなった、宗教心を失った現代の途方もない傲慢さの表れといえます。
対立を乗り越えるただ一つの手段は相手の立場を認めることです。協調して生きようとする覚悟を互いに持たない限り、血で血を洗う戦いを正当化していく誘惑に引き込まれていきます。相手の存在を認め、許し、慈悲の心をもって共生社会を目指して歩み出す他に道はありません。それこそが人間の知恵です。
宗教とは権威でもあります。権威の中枢にいる人々が若者に対し、「宗教の名による妥協なき殺戮」がいかに愚かな行為であるか、を熱烈に語り続ける情念を失ったならば、世界は対話への道を見失っていくでしょう。
利害や対立を越え、対話の道を開き、全ての人が幸福になれるステップをつくり出していくために宗教者の果たすべき役割は大きいと思います。

(2016年11月10日記載)