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2003年10月11日 「バターン特使団」が帰国

10月7日からフィリピンを訪れていた「バターン特使団」(団長=庭野欽司郎参務)一行20人が11日、5日間の日程を終えて帰国しました。一行は、本会青年部と深いつながりを持つBCYCC(バターン・キリスト教青年会)の「創立25周年記念式典」に参列したほか、フレンドシップ・タワーやモンテンルパ墓地公園での慰霊供養、BCYCCメンバー宅でのホームステイなどを行いました。同特使団には、BCYCCとの関係を築いてきた庭野参務、天谷忠央教学委員長、片桐克修・元北海道教区長、山本宣亮・松戸教会長、長谷川泰弘・取手教会長が参加しました。

同特使団の受け入れ団体であるBCYCCは、カトリック信仰の基本精神「友愛」を基盤として、地域で文化、教育、福祉の向上に貢献することを目的に78年10月、発足しました。メンバーは10歳代から30歳代までの敬虔なキリスト教青年で構成されており、現在も13歳から36歳まで約100人が加盟しています。本会青年部とは創立当初から親交が深く、相互に訪問し合う関係は現在も続いています。8日夜、バターン州バランガ市内のホテルで開かれた「BCYCC創立25周年記念式典」にも、特使団一行はアルベルト・ガルシア同市長とともにメーンゲストとして招かれました。式典には、BCYCCのメンバーや功労者など約150人が参集しました。
「平和の祈り」で始まった式典は、ガルシア市長のあいさつに続き、庭野参務が登壇。お祝いの言葉を述べたあと、「およそ半世紀前、日本とフィリピンは、銃を持って戦う悲しい出会いをしました。しかし、BCYCCの方々との出会いによって、本当の友情を深めることができました。戦時中に日本軍がフィリピンの人々に行った〝死の行進〟を〝平和の行進〟に変えることができたわけです」と両者の交流を振り返りました。その上で、「友情をさらに深め、世界平和のためにこれからも活動をともにしていきましょう」と語り、一層の相互理解・協力を促しました。
これを受け、BCYCC顧問のクリストモ・G・バンソン氏があいさつ。本会との交流の歴史を述べたあと、庭野日敬開祖の思い出を披歴しました。「庭野開祖さまを思い出す時、あのやさしい眼差し、教えを説かれる智慧の深さ、慈悲、愛情を感じずにはいられません。今も庭野開祖さまの教えは、私たちの精神的啓発の源となっているのです」と哀悼の言葉を述べ、参加者全員とともに黙とうを捧げました。
一行が『世界にひとつだけの花』など3曲を披露したあと、BCYCCのメンバーがスライドで世界の現状を映しながら、仏教、キリスト教など8つの宗教の聖典を朗読する「諸宗教の祈り」を行いました。
式典の最後に、天谷教学委員長が「閉会の言葉」に立ち、「25年間の友情は、悠久の神仏のいのちに比べれば一瞬の出来事かもしれません。しかし、私たちにとっては、とても重要な年月でありました。新たな25年に向かい、子供や孫に私たちが築いてきた分かち合いの精神を継承していきましょう」と語り、式典を結びました。
一行はバターン滞在中、BCYCCメンバー宅でホームステイをしながら諸行事に参加しました。8日は25周年記念式典に先立ち、第二次世界大戦中に日本軍がフィリピン兵士に強制した「死の行進」の出発点「0キロメートルポイント」とフレンドシップ・タワーを訪問。BCYCCのメンバーと合同で慰霊供養を営みました。
前日の7日にはモンテンルパ墓地公園を訪れ、慰霊の読経供養を厳修しました。また、9日には本会青年部とBCYCCの相互交流を積極的に推し進め、青年部員から"ママさん"の愛称で親しまれたアグリピナ・C・バンソン女史(昨年7月4日逝去)の墓所を参拝。天谷教学委員長導師のもと読経供養を行い、全員で花を手向けました。このあと、大戦時に日本軍と激戦を繰り広げたサマット山に登り、慰霊塔の前で戦没者の慰霊と恒久平和への祈りを捧げました。

立正佼成会とBCYCC

BCYCC(バターン・キリスト教青年会)が創立25周年を迎えました。10月8日に挙行された記念式典では、主賓として招かれた庭野欽司郎参務、天谷忠央教学委員長、片桐克修・元北海道教区長らかつての"青年部リーダー"のまわりに、BCYCC発足当時のメンバーが続々と集まってきました。握手を求め、抱擁し、涙を流して再会を喜ぶ姿は、立正佼成会とBCYCCが深い絆で結ばれていることを証明していました。本会青年部が初めて取り組んだ国際交流。BCYCCとのかかわりを紹介します。

1978年10月、BCYCCは産声を上げました。カトリックの基本精神「友愛」を基盤として、地域で文化、教育、福祉の向上に貢献することを目的に集まったメンバーは、10代から30代のキリスト教青年でした。
本会青年部とキリスト教青年との出会いは、BCYCC創立の4年前にさかのぼります。
本会がフィリピンを初めて訪れたのは、73年。第1回「青年の船」に約500人の青年部員が参加しました。「この時、訪問したモンテンルパ日本人墓地の荒れ果てた様子に、誰もがショックを受けました」と当時、青年本部長として乗船した庭野参務は振り返ります。
本会では、フィリピンでの慰霊を続けると共に、懺悔と友情のシンボルを建設することに決定。その際、庭野参務らと建立地探しに奔走したのが、バターン州議会議員でBCYCC創立時のメンバー、ジェス・サンチェス氏でした。「当時のバターン市民は戦時中、残虐行為を繰り返した日本人に強い嫌悪感を抱いていました」とサンチェス氏。庭野参務も「陰で『ジャップ』とささやかれ、にらみつけられた」と回想します。日比友好のシンボルとしてフレンドシップ・タワーがバターン州バガクに建立されたのは、75年4月のことでした。
この時期から、本会青年部は同州のキリスト教青年との交流に力を入れていきました。キリスト教青年たちがその後、BCYCCを創立。今日まで続く交流のスタートを切りました。両国間の悲しい歴史を背景に持ちながら、相互理解にとりわけ重要な役割を果たしたのが、ホームステイプログラムです。当初は言葉や生活習慣、宗教などの違いに、BCYCC側から戸惑いの声も上がりました。しかし、「寝食を共にする中で、そうした思いは解消されていった」とマニュエル・バンソン氏は言います。
なかでも、"ママさん"の愛称で親しまれたアグリピナ・C・バンソン女史は、本会青年部員の訪問を温かく受け入れた一人。だれに対しても笑顔を絶やさず、やさしい言葉かけを忘れない姿は、不安と緊張で民泊する本会青年部員の心を和ませてくれました。「彼女は寛容な精神を持った人でした。いつもニコニコしていてね。私たちは彼女の心の大きさを称して〝ビッグママ〟と呼んでいました」と、当時青年第二課長として相互交流の先頭に立っていた天谷教学委員長は懐かしみます。9日には、バンソン女史の墓所を参拝。天谷教学委員長が導師を務め、読経供養を営みました。
本会青年部とBCYCCは、ホームステイによる触れ合いを図る一方で、フィリピンでの支援活動にも力を注ぎました。バターン国立職業訓練学校への機材援助と奨学生への支援、バターン図書博物館(BLM)建設と運営の資金援助。また、BCYCCが81年6月に設立したBCY財団の進める社会開発などのプロジェクトに、本会一食平和基金から資金援助を実施、現在まで続いています。
今、BCYCCはこうした活動のほか、地方に暮らす子供たちへの移動図書館活動を行い、バターン陥落記念日(4月9日)に催される「バターンデイ」式典に参列しています。将来を展望し、フィリピンが抱える社会問題に目を向けた活動の推進と、教育機関へのIT技術の導入も市に提案しています。「そのために、立正佼成会青年部の役割は大きい」とジョビー・バンソンBCYCC第10代会長は言います。「友好を目的とした交流にとどまらず、宗教観を基とした精神的な対話交流を図りたい。そうすることで、BCYCCのメンバーの社会をよりよくしようという意識が高まり、地域でリーダーシップを発揮できる存在になっていくのです」。
本会青年部とBCYCCは、より深い絆を求め、新たな一歩を踏み出しました。

(2003.10.17記載)