イスラーム・シーア派、スンニ派間の緊張が高まる中、イラクの諸宗教者ら20人が3月10日から12日まで、ヨルダン・アンマンのメリディアンホテルで会議を行いました。対立・緊張の根本原因を見つめ、緊張を払拭するための方途を探るものです。分断よりも調和の道を選ぶイラク宗教者の願いが結集したといえます。WCRP(世界宗教者平和会議)国際委員会が主催し、同実務議長であるヨルダンのハッサン・ビン・タラール王子の働きかけで実現しました。
会議は、シーア派、スンニ派双方に根強く残る対立感情に加えて、2004年3月2日にバグダッドとシーア派聖地カルバラで起きた同時テロによって一気に高まった緊張を、両派の宗教者が払拭するための手立てを探るものとなりました。
シーア派からは、ナジャフのテロ(2003年8月)で亡くなったムハンマド・バーキル・ハキーム師の弟でイラク統治評議会メンバーでもあるアブドルアジズ・ハキーム師の代理として、側近のフマン・バキル・ハモディ師が参加。スンニ派からは、イスラーム・ウラマ委員会代表でイラク統治評議会メンバーのマフムッド・アル・イサウィ師、キリスト教カルデア教会からガブリエル・カサブ大司教らがそれぞれ会議に臨みました。
会議ではまず、それぞれの宗教・宗派に分かれて、対立の原因、解決案を導き出し、合同会議で報告し合う形がとられました。
シーア派の報告によると、対立の原因は、シーア派の信徒がフセイン政権下で抑圧されてきたことをスンニ派による抑圧だと取り違うことだと指摘しました。そして、スンニ派にはシーア派の人間が国外から流入してきたという偏見があると分析しました。
スンニ派の報告によると、イラクではもともと宗教間の調和が保たれてきた歴史がありましたが、政治的に対立意識を植え付けられたとして、「改善するには宗教者間の対話を増やすことが必要」と結論付けました。
最終日には、アラビア語の宣言文が採択されました。対立・緊張や紛争を解決するための小委員会の設立を決定し、7人のメンバーを選出しました。争いの調停や宗教協力による人道支援を推進する実動体としての役割を担います。
また、宣言文には、治安の回復を待って、将来、宗教間の調和を象徴する諸宗教合同の国家的な宗教儀式を行う、メディアは対立を助長する報道を慎む、国づくりのために諸宗教が一致した見解をもつことなどが盛り込まれました。
WCRP国際委は今後、小委員会が速やかに行動できるよう、側面から支援することになります。さらに、国連調査団のブラヒミ事務総長特別顧問との関係を軸に、国連が宗教間の平和的共存を扱う際には積極的に協力していく意向です。
今回のアンマン会議では、イラクの諸宗教者を招集するため、WCRPイラク諸宗教評議会現地コーディネーターのハイダー・アブドゥルアミル氏が大きな役割を果たしました。
【ハイダー氏から佼成会へのメッセージ】
アンマン会議の3週間前に、自宅付近がテロの標的となりました。身の危険を感じる中で、役割を果たすことができるのは、2003年11月にお会いした皆様方のおかげです。日本の方々の応援してくれる気持ちに、連帯感を感じています。今回の会議によって宗教間の緊張はおそらく軽減の方向に向かうでしょう。新生イラクが樹立された後には、イラクの青年と日本の青年とが交流するプログラムを実現したいと思います。
(2004.03.26記載)
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