「一食を捧げる運動」は、「いつでも、どこでも、だれでもが、いつまでも」できる身近な平和活動として30年間、着実に続けられてきました。会員一人ひとりが一食を抜いて献金した100円玉、500円玉は、「立正佼成会一食平和基金」として、国内外のさまざまなプロジェクトに役立てられています。総支援額は、100億1266万5715円。30年間の基金の主な使途と傾向をあらためて振り返りました。
【アジアの難民問題】
1975年、30年間続いたベトナム戦争が終結を迎えた。その後の政治的混乱でインドシナ3国(ベトナム、カンボジア、ラオス)から300万人を超す人々が国外へ逃れた。また、カンボジアでポル・ポト派が台頭し、難民が激増した。同基金では、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会のインドシナ難民支援活動を側面から支えたほか、千葉・小湊、福井・若狭の施設をインドシナ難民一時受け入れ施設として開放。主に、「ボートピープル」と呼ばれるベトナムからの難民を受け入れた。
【アフリカへの支援】
1984年に「アフリカへ毛布をおくる運動」がスタートしたことにより、アフリカ各国が直面している飢饉や干ばつなどへの支援が増加した。92年には、内戦によってケニアなどの周辺国に逃れたソマリア難民の支援を目的に本会会員による「ソマリア難民救援チーム」を現地に派遣。国連機関と協力し、難民キャンプなどに医薬品などを提供した。
【民族・地域紛争】
ソビエト連邦が崩壊し、東西冷戦が終結を迎えた1991年以降、地域・民族紛争が各国で激化した。湾岸戦争によるクルド難民問題、ソマリア内紛、ブルンジ・ルワンダの大虐殺、旧ユーゴスラビ紛争などが相次ぐ中、同基金でもこれらの事態に対応し、資金面での支援と同時に調査団などを派遣した。
旧ユーゴ紛争後の復興を目的に、本会はWCRP国際委員会のボスニアプロジェクトを支援。また、ジェン(旧=日本緊急救援NGOグループ)に加盟し、「ゆめポッケ・キッズキャンペーン」のほか、会員ボランティアを現地に派遣した。近年ではイスラエル・パレスチナの衝突、イラク戦争などに際し、緊急支援を行った。
【カンボジア復興支援】
1975年から4年間続いたポル・ポト政権下の仏教弾圧政策により、仏教施設は破壊され、貴重な仏教書籍や資料は灰と化した。本会ではカンボジア宗教省と協力し、カンボジア国立仏教研究所の再建に着手。また、書籍の復刻も行った。2002年10月の第2期落成式には庭野会長が出席し祝辞を述べた。仏教再建を中心としたカンボジアの復興開発に、同基金から3億6872万1609円が支援された。
【自然災害】
国内外で発生した地震や台風などの被害約150件に緊急支援を行った。
1992年末にインドネシア・フローレス島一帯を襲った大規模な地震の際には、2000ドルの支援にあわせてボランティアを現地に派遣し、物資の輸送などに協力した。
また、インド、トルコ、イランなどでの大地震、スマトラ沖地震・津波災害などの際、医薬品や救援物資を提供。最近では、米国南東部を襲った超大型ハリケーン「カトリ―ナ」の被害に対し、5万ドル(約550万円)の支援を決定した。
国内では、北海道南西沖地震、阪神・淡路大震災をはじめ、三宅島や雲仙普賢岳の噴火による被害にも多額の支援を行っている。
【データで見る基金の運営】
《1》分類別支出割合
同基金の運営は、他の団体と協力してプロジェクトを行う「合同プログラム」、本会独自の活動を支援する「自主プログラム」、他団体のプロジェクトに対する「資金助成プログラム」――の3つに分類される。スタート当初から約10年間は他団体に対する「資金助成」が多かったが、1995年以降は本会と他団体との「合同プログラム」の割合が高くなっている。「アフリカへ毛布をおくる運動」をはじめ、REST(ティグレ救援協会)と合同のエチオピアの植林作業など、ネットワークを結んだ活動が年々活発化した。
《2》地域別支出割合
フィリピン・バターン州のモンテンルパ墓地整備、フレンドシップ・タワー建設が同基金のきっかけとなったため、初期は同国を含めたアジアへの支援が9割を占めていた。その後、アフリカ地域への支援がスタートし、東西冷戦終結以降、民族・地域紛争などに伴い、旧ユーゴをはじめとするヨーロッパ諸国への支援が行われた。その後の情勢に応じて中東、北米、中南米なども対象となり、世界を網羅していく傾向にある。
《3》分野別支出割合
当初は「国際理解」が主な支援分野だったが、世界情勢の変化や時代の要請に応え、環境、開発、非武装、人権擁護、難民救援、人材育成など幅広い分野で支援を行っている。特に1994年以降は、各国で地域・民族紛争が発生したため、「人権・難民」への割合が高くなった。また、あわせて国際的な人材の育成にも力が注がれた。
(2005.09.30記載)