本会は12月1日、外務部が主管となりまとめた『「憲法改正」に対する基本姿勢』を発表し、同日、全国各教会に送付しました。今回の『基本姿勢』は、昨今、政界を中心に「憲法改正」論議が高まっていることを受けたものです。国の最高法規である「憲法」の意義と性格に触れ、日本国憲法が果たしてきた役割を説明した上で、教団としての基本姿勢を表明。憲法改正という行為自体を否定する立場ではないものの、現在の改正論議に見られる「九条の改定」「政教分離の緩和」は、戦後の日本を支えてきた「平和主義」「基本的人権の尊重」を脅かすと懸念を明示しています。仏教的観点から、戦争放棄や戦力不保持を定めた現憲法の理念と条文は宗教的智慧に相通じるものであり、対立と戦火の絶えない国際社会に伝えていくべきとの考えを示しました。
戦後60年を迎え、政界では与野党を問わず各政党で憲法論議が活発化しています。また、憲法の拡大解釈によって政策を進め、事実を積み重ねていく政治のあり方は、最高法規である憲法の軽視につながるとの意見もあります。
昭和63年に渉外部(当時)によってまとめられた『平和大国への道』を教団の憲法についての正式見解としてきた本会は、こうした情勢を踏まえ、憲法論議には国民的議論が不可欠と判断し、あらためて憲法への考え、昨今の改正論議に対する基本姿勢を示していくこととなりました。
今回の『基本姿勢』は2年前、外務部と中央学術研究所が中心となり組織された「平和問題研究会」(座長・松原通雄外務部長)での慎重な議論を基にまとめられたものです。理事会での承認を経て、発表されました。
「はじめに」に続く「憲法の意義と役割」では、国家が国民の人権を侵害してきた歴史から、国家権力の行き過ぎに歯止めをかけ、個人の自由や権利を守るために「憲法」という仕組みがつくられてきた経緯を説明。憲法は、それ以外の一般の法律と性格、役割を異にし、国民が国家に課した制約であることを確認しています。
このあと、現行の日本国憲法が果たしてきた役割に言及。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を基本原則に掲げることで、戦後の日本に民主主義社会が形成され、「平和主義を踏まえた経済国家」として国際社会で高い信用を得てきた事実が紹介されています。その上で、本会の基本姿勢を明示。『平和大国への道』にもある、「改正という行為自体を否定するものではない」との立場を確認する一方、「自衛隊を軍隊とし、戦力保有を明記」「政教分離の緩和」といった改正論議は、国の根幹である「平和主義」と「基本的人権の尊重」を脅かし、国の将来と国際社会に大きな影響を与えると懸念を表明しています。「不殺生」「非暴力」を平和の第一義とする仏教的観点や「すべての国家間に健全な調和なくしては世界全体の幸せはない」との考えから、現行法の前文と九条に象徴される日本国憲法の平和主義の精神と理念は守っていくべきとの意向を明らかにしました。
現行法に向けられる「理想論で非現実的だ」との意見に対しては、1999年にオランダ・ハーグで行われた「ハーグ平和アピール」会議の決議を紹介。平和を求める世界の多くの人々が憲法九条を高く評価している事実に触れ、21世紀を「共生の世紀」としていくためには、宗教的智慧と相通じる現憲法の基本理念こそ日本をはじめ世界にとって必要、と訴えています。
なお、本会では今後、憲法学の専門家などからも意見を聴取し、憲法に関する議論を継続。改正論議の争点である「安全保障」や「政教分離」といった個別の問題に対して詳細に検討していく方針です。
「憲法改正」に対する基本姿勢
【はじめに】
戦後60年を迎え、憲法改正をめぐる論議が高まりを見せています。今年4月には、衆参両議院それぞれに設置されていた憲法調査会が最終報告書をまとめました。各政党でも議論が続いていますが、最初から「改正」を前提とした議論には、各界から異論や慎重な意見が上がっているのも事実です。
憲法は、あらゆる国内法の中で最も強い効力を有する「最高法規」であり、私たちの暮らしに多種多様な形で密接に関わっています。憲法改正に関する論議は、国政に携わる政治家だけが考えればいいという問題ではありません。将来の世代にも大きな影響を及ぼすことを考えれば、大局的な視点に立った国民的論議が何よりも不可欠です。憲法論議が高まりを見せる中、ここで、あらためて本会の憲法に対する考えをまとめ、発表することとしました。
【憲法の意義と役割】
かつて、国家が個人の自由や権利を制限することは当然とされる時代がありました。国民はしばしば苦役や隷従を強いられ、世界各地で数々の悲劇を生んできました。そうした経験から、近代ヨーロッパでは、国家権力の行き過ぎに歯止めをかけ、個人の自由や権利を守るため、「憲法」という国の仕組みを規定しました。1947年に施行された現在の日本国憲法もこの立憲主義に立脚しています。
私たちの生活には、憲法以外にも民法や商法、道路交通法などさまざまな法律があります。しかし、憲法とそれ以外の一般の法律とは意味合いが異なります。憲法は、国家がその権力を乱用し、国民の自由や権利を侵害しないよう、国民が国家に課した制約です。社会秩序の安定などのために、国家が国民に対して発令する一般の法律とは性格も役割もまったく違うのです。その上で、日本国憲法は、どの国内法よりも強い効力を有する「最高法規」とされています。現に第九十八条には憲法が国の最高法規であるとし、憲法に反する法律や命令、国務に関するその他の行為は効力を持たないと定めています。また、第九十九条には、天皇または摂政および国務大臣、国会議員、裁判官などすべての公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負うと規定しています。国家権力の行き過ぎによる人権侵害を防止するために、歴史的経験を踏まえた仕組みが取られているわけです。近年、憲法を軽視するような政治家の言動がしばしば見受けられますが、本来、国民の代表である為政者は憲法を尊重した政治や言動に努めなければなりません。
【新しい日本を支えた日本国憲法】
立憲主義に立つ日本国憲法は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を基本原則に掲げています。主権は国民にあることが明確に規定され、すべての人々が政治参加できるようになりました。また、国民の基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」として保障されました。とりわけ個々の人間の精神性を重んじる思想・信条の自由、集会・結社・表現の自由、信教の自由を基本的人権として手にすることができたのです。さらに国家に対しては、基本的人権の保障を最大の任務とするよう強く求めています。「国民主権」「基本的人権の尊重」によって戦後の民主主義が形成され、個人の尊厳が認められる、より自由で豊かな社会を実現することができたと言えます。
中でも、「信教の自由」に関しては、その保障をより確実なものとするために「政教分離の原則」という規定を設けています。
現憲法制定以前の大日本帝国憲法では、「信教の自由」が保障されていましたが、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という条件を伴うものでした。現実には、国家と神社神道が結びつき、国家神道が国教なみに手厚く保護され、「臣民の義務」としてその信仰が国民に強制されました。一方、政権の意向に沿わない宗教教団は「安寧(あんねい)秩序を妨げる」との理由で迫害や弾圧が加えられました。国家神道体制の下、政府によって国民や宗教教団は厳しく統制され、政権の意向に従わなければなりませんでした。
こうした歴史的経験や教訓を踏まえ、「信教の自由」を基本的人権として、これに強い保障を与えると共に、国家と宗教が融合することは「信教の自由」を侵害することを認識して、現憲法で「政教分離の原則」が採用されたのです。現憲法の定める政教分離の原則が守られてこそ、信教、良心など国民の権利や自由が確保されると言っても過言ではないでしょう。
また、現憲法では悲惨な戦争を経験した教訓から、根本の精神として「平和主義」を掲げ、一切の戦争を放棄すると共に戦力の不保持を誓いました。「平和憲法」とも称される所以であります。東西冷戦体制が顕在化する世界情勢の中、米国の意向に沿う形で自衛隊が発足し、その存在についてはさまざまな意見があるものの、憲法によって明確に交戦権を否定した日本は、戦後、国権の発動によって外国人を殺めたことは一度もありません。また、憲法の理念に従って、政府が非核三原則、武器輸出三原則等を表明し、守ってきたことは国際的信用を高め、世界的にも独自の地位を占めることにつながりました。軍備に莫大な費用をかけることなく、国際協調に沿った経済政策を進めた結果、世界有数の経済大国に成長しました。このように、現憲法が「新しい日本」のために果たしてきた役割は非常に大きいものがあります。
1998年、当時の小渕恵三首相と金大中・韓国大統領が「日韓共同宣言」を発表しました。その中で、金大統領は、日本が平和憲法の下、非核三原則を守り、開発途上国への援助を行ってきたことなどを高く評価しました。平和憲法の存在によって、日本は近隣諸国から、平和主義を踏まえた経済国家として、高い信用を得てきた事実は否定できません。
【本会の基本姿勢】
本会は、現憲法を「不磨の大典」として絶対視するものではありません。また、改正という行為自体を否定するものでもありません。人権意識の高まり、国民生活や社会の新たな課題などに対応するため、部分的に憲法が改正されていくことはあり得ると考えています。そもそも日本国憲法第九十六条には改正規定が定められています。しかし、「自衛隊を軍隊とし、戦力保有を明記する」「政教分離を緩和する」などの改正論議は、国の根幹である「平和主義」と「基本的人権の尊重」を脅かす危険性をはらんでおり、国の行く末、国際社会への影響を考えるとき、強い危惧の念を禁じえません。
本会は、人と人、人と自然との間に調和が保たれ、すべてのものの生命(いのち)が尊重される世界の実現を目指し、種々の取り組みを重ねてきました。この立場から、本会は、現憲法に貫かれている精神、つまり"いのちを尊重し、人権を擁護し、戦争を放棄して平和を確立する"という崇高な願いを今後もしっかり守っていくべきであると考えます。特に、本会は、憲法前文と第9条に象徴される平和主義の精神と内容を「全人類の願いであり、日本の誇りである」ととらえています。
2001年の米国同時多発テロ以降、国際的な緊張が高まる中で、自国の安全をどう守るかが大きな焦点になっています。自国の平和や安全は国民共通の願いであり、それを守ることは政府の務めでもあります。しかし、自国への特別な思いが、利己的な考えや態度に陥いれば、自ずと他者に不寛容となり、より多くの対立を生み出していくことは歴史の証明するところです。「万が一の備え」として憲法を改正し、軍事力を確保しようとすることは、一見現実的な考えに見えますが、政策の柔軟性を失わせてしまい、近隣諸国との間に大きな緊張関係を招きかねません。また、ほとんどの戦争が、「自衛のため」という大義を掲げていますが、果たして「正しい戦争」「正しい殺生」というものなど存在するのでしょうか。日本国憲法は、そのことを全人類に問い続けてきたのです。
仏教では、「不殺生」「非暴力」を平和の第一義としています。それは、それぞれのいのちが世界のあらゆる事柄と相互に関係し合い、依存し合っており、すべてのいのちが自らのいのちと同じように等しく尊いと見るからです。一つひとつの国家の多様性を尊重していくことは欠かすことのできない視点です。しかし仏教的にとらえれば、それぞれの国家は世界全体を構成する要素であるとも考えられ、すべての国家間に健全な調和なくしては世界全体の幸せはないと言えます。物事を相対的、対立的に見るのではなく、世界や地球という大きな視点に立ち、「人類は絶対的な一つ」「世界のすべての人々が、この地球に生きる兄弟姉妹」と見ることは、真に平和な世界を実現するために欠かすことができません。日本国憲法を貫く平和主義の精神は、こうした宗教的智慧と相通じています。
【世界が認める平和憲法】
一方、現憲法に対して「理想に過ぎない」「非現実的だ」という声もしばしば聞かれます。本当にそうなのでしょうか。
1999年、オランダのハーグで、世界100カ国から1万人の市民をはじめ、国連のアナン事務総長、各国の政府代表などが集まり、「ハーグ平和アピール」という会議が開かれました。討議の結果、「公正な世界秩序のための基本十原則」が発表され、その第一項に、こう記されました。「各国議会は、日本国憲法第九条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」。現憲法は、世界的に高い評価を受けており、平和を求めて活動する世界の人々の現実的な希望ともなっているのです。
武力による威嚇は新たな緊張関係を生み出し、止まることのない暴力の連鎖へとつながっていきます。対話と協力に基づいた「武力によらない平和づくり」を進めていくためには、現憲法の持つかけがえのない意義を、今一度、大局的視点から再評価し、とらえなおしてみる必要があります。
20世紀は「戦争の世紀」「対立の世紀」と呼ばれました。今なお、世界の各地で戦火が上がり、数多くの人々が戦争の犠牲となっています。21世紀こそ、真の意味での「共生の世紀」にしていかなければなりません。宗教的智慧と相通じる現憲法は、さまざまな対立の火種を抱える現在の国際社会の中で、今再び大きな光を放っており、日本国内のみならず世界中に伝えていくべき平和への根本理念だと考えています。
(2005.12.09記載)