庭野平和財団(庭野日鑛総裁、庭野欽司郎理事長)の「第24回庭野平和賞贈呈式」が5月10日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で行われました。今回の受賞者は台湾の仏教尼僧で、財団法人「台湾仏教慈済慈善事業基金会」(慈済基金会)の創始者である證厳法師(70)。同基金を設立した證厳法師は仏教を基盤に慈善、医療、教育、文化事業、国際援助活動を通じて貧困者の救済に努めてきました。「すべての人々への奉仕」「人々の心の変革」を目指す取り組みは、物資や機会の提供にとどまらず、触れ合う人々に思いやり、慈悲心を喚起。證厳法師の信念と指導のもと、同基金会は現在、500万人の会員を数える世界最大規模の仏教ボランティア団体に成長しました。なお、證厳法師は健康上の理由から海外渡航を控えており、贈呈式には代理として同基金会文化開発部の何日生部長ら3人が出席。当日は台北駐日経済文化代表処の羅坤燦副代表はじめ200人の識者、宗教者らが見守る中、庭野総裁から同法師に賞状と副賞の顕彰メダル、賞金2000万円(目録)が贈られました。
證厳法師は1937年に台湾の台中県に生まれました。63年、養父の死に直面し、人生の真実を知りたいと尼僧になることを決意。台北で高僧として名高い印順導師の弟子となり、教えを受けました。後にカトリック修道女との出合いから、キリスト教が社会事前事業に積極的に取り組んでいることに関心を持ち、仏教の人道主義に基づく社会貢献に思いを巡らせました。
66年、台湾東部・花蓮市に慈済基金会の前身である「仏教克難慈済功徳会」を設立。30人の主婦と共に貧しい人々を支援するため、食料品購入の献金を募ることから活動をスタートしました。證厳法師の教えと実践によって多くの人が救われ、そうした人々がさらに貧しい人々の救済にあたったことで会員数は拡大していきました。
その後、病気になっても地域で満足な治療が受けられないことが貧しさの要因の一つだと知った證厳法師は79年、病院建設を考えるようになる。86年、台湾で初めて貧しい人が保証金なしで治療を受けられる花蓮慈済病院を開業。同病院の設立は従来の医療制度を変えたばかりでなく、医師や看護師、ボランティアが一つの"家族"のような関係を築き、「すべての人に慈悲の心」をモットーに治療にあたったことから大きな注目を集めました。現在、台湾全土に6つの総合病院を持っています。
この間、さらに教育、文化、国際援助へと活動の幅を広げていきました。89年に慈済看護専門学校(後に慈済技術大学)を、94年には慈済医学院(後に慈済大学)を設立。2000年には小学校、中学・高校も誕生しました。また、図書館や研修室、研究室、ギャラリーや瞑想室を兼ね備えた静思堂やテレビ局を持ち、文化事業を積極的に推進。91年にバングラデシュを襲ったサイクロン被害の救済にあたったのを機に国際援助活動もスタートさせました。
慈善、医療、教育、文化の4項目を柱とする同基金会の活動は、困窮している人々に援助の手を差し伸べながら、与える側、受ける側の双方に慈悲の心を育むことに重きが置かれてきました。そこには「他人への愛の欠如が、世界にある多くの問題の原因」「世界を救うには、心の変換から始めなくてはならない」という證厳法師の信念が貫かれています。
こうした證厳法師の同基金会を通しての世界平和への取り組みが高く評価され、今回の受賞となりました。
当日の贈呈式では、庭野平和賞委員会のグナール・スタルセット委員長=ノルウェー国教会名誉主教=により選考経過が報告されたあと、庭野総裁から賞状と副賞の顕彰メダル、賞金2000万円の目録が同法師の代理者である何氏らに手渡されました。
次いで、庭野総裁があいさつ。社団法人「シャンティ国際ボランティア会」の若林恭英会長、台北駐日経済文化代表処の羅副代表、日本宗教連盟の杉山一太郎理事長=教派神道連合会理事長=が祝辞を述べました。
この中で、杉山理事長は、「(同基金会が)法師を中心に慈善、医療、教育、文化を柱としてさらに大きな光を、輪を広げられていますことは心の癒しと、世界平和確立への前進であると強く確信しております」と述べ、證厳法師に敬意を表ました。
このあと、同基金会の何氏が登壇し、證厳法師の記念講演原稿を代読。現実世界に浄土を実現するため、「平等愛の実践」や一人ひとりが目覚めていく必要性を語りました。
なお、前日の9日には同基金会の何氏はじめメンバー3人が本会本部を訪れ、大聖堂での歓迎セレモニーに出席後、法輪閣で庭野総裁はじめ庭野平和賞委員会の委員らと懇談しました。
(2007.05.18記載)